これからの「正義」の話をしよう
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学/マイケル・サンデル

¥2,415
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1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。
つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。社会に生きるうえで私たちが直面する、正解のない、にもかかわらず決断をせまられる問題である。
内容(「BOOK」データベースより)
哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。ハーバード大学史上空前の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。
頭がパンクする。
頭が痛くなる(笑)
でも、この本はかなり売れている。
ということは、日本人はみんな賢いんだろう。
哲学書だ。
あなたの道徳観を問う、って感じの本。
哲学が好きな人にはいい本。
嫌いな人は「分厚い!」って思うだけか。
たとえ話というか、話によく例題のようなものが登場する。
殺され、食べられたいと願う者を募集するインターネット広告。
実際に、肉を食した被告人の裁判があった。
この同意による食人について語ったりとか、善悪の微妙な話が出てくる。
脳性麻痺の彼女は、車椅子のチアリーダーとして活躍していた。
しかし、シーズン終了でチームから外される。
開脚や宙返りが求められるから、彼女も他の部員と同じテストを受けろという。
要求通りの規定演技ができなければならないだろうか。
あるプロゴルファーは循環系の疾患があり、コースを歩くと出血と骨折の危険がある。
だから彼は協会にゴルフカートの使用を求めた。
しかし規則ではゴルフカートの使用を禁止しているため、その要求を拒否。
ゴルフカートの使用を認めれば彼だけが有利となる意見もあり、この事態は裁判に持ち込まれる。
最高裁では判決は使用を認めるに至った。
ってことについて語っているのだが難しい。
そういえば、最近のニュースで感動した。
紅白にも出る植村花菜 「トイレの神様」的な感じ。
トイレってとこが。
東京都港区のマンションで先月、97歳の母親と2人暮らしだった女性(63)が8日間にわたり自宅トイレに閉じこめられた。女性が見舞いに来なくなったことを心配した入院中の母親が、看護師に安否確認を依頼。女性は救助されたが、母親はその日に永眠した。「母は、寿命を早めることで私を助けてくれたのだと思う」。女性は自らの身に起きた出来事をそう振り返った。
女性によると、母親が間質性肺炎で自宅近くの東京慈恵医大病院に入院したのは10月初旬。6月に会社を退職した女性は、毎日病院で母親の身の回りの世話をしていた。11月4日午前1時ごろ、女性が就寝前に自宅トイレに入ってドアを閉めたところ、突然「バタン」と大きな音がした。驚いてドアを開けようとしたが、びくとも動かない。
廊下に立てかけていたコタツセットの入った段ボール箱がドアに向かって倒れ、つっかえ棒のようになってしまったのだ。
ドアは頑丈で体当たりしてもどうにもならない。ドンドンたたきながら、「トイレに閉じこめられています。助けてください」と大声で叫んでも応答はない。
トイレには窓も時計も携帯電話もない。時間を知るすべは、換気扇を通して聞こえる建設工事現場の音だった。工事の音で朝の訪れを知ったが、助けの声への反応はなかった。
当初は「誰かが見つけてくれるだろう」と楽観的だった。しかし、いくら叫んでも助けは来ない。日がたつにつれ、不安が募った。「母は、誰にもみとられず息を引き取り、私はトイレで餓死するのか」。頭に浮かぶのは、病気で衰弱している母親のことばかりだった。
「娘が来ない。連絡してほしい」
女性が閉じこめられてから6日目の11月9日。病床の母親は、看護師らにこう訴えた。看護師らは病院事務局を通じ、女性宅に何度も電話した。応答がなかったため11日朝、警察に通報。同日午後3時、女性は救助された。脱水症状のため、母親が入院する病院で点滴の最中、母親の容体が急変した。
病室に駆けつけると、母親の意識はなかった。「私は大丈夫。助かったから」。手を握ると、母親の口元がかすかに動いたという。同日午後6時、母親は息を引き取った。
「もっと早く女性を助けることができれば、親子で最期の会話ができたかもしれない」。担当看護師はこう悔やむ。しかし、女性は「母の顔は安らかで笑みさえ浮かべていた。それが救いだった」と話した。
(『産経新聞』より)
これはドラマになる。
いや映画だ。

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つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。社会に生きるうえで私たちが直面する、正解のない、にもかかわらず決断をせまられる問題である。
内容(「BOOK」データベースより)
哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。ハーバード大学史上空前の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。
頭がパンクする。
頭が痛くなる(笑)
でも、この本はかなり売れている。
ということは、日本人はみんな賢いんだろう。
哲学書だ。
あなたの道徳観を問う、って感じの本。
哲学が好きな人にはいい本。
嫌いな人は「分厚い!」って思うだけか。
たとえ話というか、話によく例題のようなものが登場する。
殺され、食べられたいと願う者を募集するインターネット広告。
実際に、肉を食した被告人の裁判があった。
この同意による食人について語ったりとか、善悪の微妙な話が出てくる。
脳性麻痺の彼女は、車椅子のチアリーダーとして活躍していた。
しかし、シーズン終了でチームから外される。
開脚や宙返りが求められるから、彼女も他の部員と同じテストを受けろという。
要求通りの規定演技ができなければならないだろうか。
あるプロゴルファーは循環系の疾患があり、コースを歩くと出血と骨折の危険がある。
だから彼は協会にゴルフカートの使用を求めた。
しかし規則ではゴルフカートの使用を禁止しているため、その要求を拒否。
ゴルフカートの使用を認めれば彼だけが有利となる意見もあり、この事態は裁判に持ち込まれる。
最高裁では判決は使用を認めるに至った。
ってことについて語っているのだが難しい。
そういえば、最近のニュースで感動した。
紅白にも出る植村花菜 「トイレの神様」的な感じ。
トイレってとこが。
東京都港区のマンションで先月、97歳の母親と2人暮らしだった女性(63)が8日間にわたり自宅トイレに閉じこめられた。女性が見舞いに来なくなったことを心配した入院中の母親が、看護師に安否確認を依頼。女性は救助されたが、母親はその日に永眠した。「母は、寿命を早めることで私を助けてくれたのだと思う」。女性は自らの身に起きた出来事をそう振り返った。
女性によると、母親が間質性肺炎で自宅近くの東京慈恵医大病院に入院したのは10月初旬。6月に会社を退職した女性は、毎日病院で母親の身の回りの世話をしていた。11月4日午前1時ごろ、女性が就寝前に自宅トイレに入ってドアを閉めたところ、突然「バタン」と大きな音がした。驚いてドアを開けようとしたが、びくとも動かない。
廊下に立てかけていたコタツセットの入った段ボール箱がドアに向かって倒れ、つっかえ棒のようになってしまったのだ。
ドアは頑丈で体当たりしてもどうにもならない。ドンドンたたきながら、「トイレに閉じこめられています。助けてください」と大声で叫んでも応答はない。
トイレには窓も時計も携帯電話もない。時間を知るすべは、換気扇を通して聞こえる建設工事現場の音だった。工事の音で朝の訪れを知ったが、助けの声への反応はなかった。
当初は「誰かが見つけてくれるだろう」と楽観的だった。しかし、いくら叫んでも助けは来ない。日がたつにつれ、不安が募った。「母は、誰にもみとられず息を引き取り、私はトイレで餓死するのか」。頭に浮かぶのは、病気で衰弱している母親のことばかりだった。
「娘が来ない。連絡してほしい」
女性が閉じこめられてから6日目の11月9日。病床の母親は、看護師らにこう訴えた。看護師らは病院事務局を通じ、女性宅に何度も電話した。応答がなかったため11日朝、警察に通報。同日午後3時、女性は救助された。脱水症状のため、母親が入院する病院で点滴の最中、母親の容体が急変した。
病室に駆けつけると、母親の意識はなかった。「私は大丈夫。助かったから」。手を握ると、母親の口元がかすかに動いたという。同日午後6時、母親は息を引き取った。
「もっと早く女性を助けることができれば、親子で最期の会話ができたかもしれない」。担当看護師はこう悔やむ。しかし、女性は「母の顔は安らかで笑みさえ浮かべていた。それが救いだった」と話した。
(『産経新聞』より)
これはドラマになる。
いや映画だ。