今日の教育界では、共存が大きなテーマになっているように感じる。つまり、地球市民というやつ。ヒトは教育を通して初めて人になり、地球の中の生物と共に生きていく事を学ばせる、環境問題に対する意識の植え付けという点では、肯定的に捉えられるのだけど、左翼が考える帰属が地球市民だとか言おうもののならば、まず、海外では相手にされない。そうなればパスポートもいらず、identification=身分証明書もいらない、どこの誰かわからない。

 アングロサクソンは白人至上主義、覇権主義であり、
かたや、中国は大中華思想、覇権主義である。個人主義、利己主義という点では共通しているように感じる。ideologyが違うから、資本主義化の下、経済力、繁栄性に差が出てきているだけである。中国ももちろん飛ぶ鳥を落とす勢いで成長はしているが。

 その為には愛国心・愛郷心をしっかり身につけ、identityを形成をする教育が非常に重要なのではないかと思う。国旗や国歌、日本という国号の成り立ちについてより知るべきだと思う。むろん自分自身、枕詞や日の出づる国という意味ぐらいしか知らないが。とにかくスポーツの舞台においてしか国家や国旗掲揚を実感する機会がない(ように感じる)。たしかに公立学校における強制的な国旗掲揚、国歌斉唱は問題に思う部分もあるのだが、中国や韓国の反日感情・教育により、国家間の史上やいわゆる「デリケート」な問題が起こった時の、彼らが国旗を燃やしたりすることについて、政府がもっと公に非難すべきではないだろうか。逆に日本であんなことを行えば、首相の進退問題にまで発展しそうな感じである。  


 一方、移民の国アメリカはその多民族性と独自の文化から、「Melting Pot」と呼ばれるようになった。これは、多様な民族・文化が集まってできた新しい文化という意味だが、この考え方にともなってアメリカでは、アシミレーショニズムと呼ばれる移民の同化運動が生まれた。アメリカ化を推し進め、全ての移民が自由の国アメリカへの愛国心を燃やし、独自のアメリカ文化を築こうとする運動である。 しかし、60年代にアフリカ系アメリカ人による公民権運動が起こると、アメリカは「Melting Pot」ではないと言われ始めた。白人以外のアメリカ人はアメリカ文化に同化せず、彼ら独自の文化を持っていたからだ。 映画に描かれるようなきれいなアメリカ的愛国心の裏側には、このようなmajorityとminorityのせめぎあいがある。そう考えると、アメリカに普遍的な愛国心はありえないのかもしれないと思えてくる。 次いで、出現したアメリカ社会の比喩で、雑多なものが混在しながら調和している社会のことを「サラダボウル」という。現在はこの「サラダボウル」的な文化多元主義がアメリカの理想だという声が強い。「みんな違ってみんな仲良し」が、このアメリカ観の基本的スタンスだが、お互いに排斥も同化もできない移民の大地アメリカでは、個人主義だけを誇張し、自らのidentityを常に示すというだけでなく、そういった理解できないものとも和するという感覚が必要なのだろう。
 
 アメリカが1776年に独立をし、それを建国とする一方、日本には史料などで建国の歴史を明確に出来ない。天皇家の発祥などについても謎が多く、騎馬民族征服説や朝鮮民族説など様々な説があり、「起源探し」が学問として成立してしまう。しかし、そうしたことが可能になってしまうほどに、日本人は「identityさがし」を必要としてしまう、という傾向にあるということができると思う。しかし、
日本の天皇家は単一王朝としては完全に世界最長であって、そのことを何より誇りに思うべきではないだろうか。もちろん神話的な天皇も多いし、ミステリーは多い。だが、そうした起源論に苦しむということはやむをえないとしても、起源不明確あるいは、不在により、皇室の歴史などに関して、日本人としてのidentityが欠如したり、不信に陥るというのは間違っていると思う。


 つまるところ、自分の国について考えたり、identityを示したりすることに無益なことはないし、日本人としての誇りも生まれるのではないかと思う。

 


 NYに行ったことで、個人主義というものを垣間見、日本人としてのidentityとは何なのかと論じることが機会としてあった。それに準じ、ちょっと悩んだので・・・。

 愛国心の話題は、identity=帰属意識の話題と同一にしていいものか。自分が、どのグループに帰属しているのかの、identityの問題といいかえてもいいだろうと思う。identityによる帰属意識が、そのグループに対する忠誠心や愛着を生み出して、自己犠牲を引き出していく。この議論でいくとというか、極論になるとそれが1世紀前の軍国主義になりかねない。国家への帰属意識が統治政権や統治するideologyへの忠誠心に置きかわってしまったときのリスクを回避するために、戦後の教育基本法では愛国心を避けた。愛国心に代わって、平和憲法に記述されている国際平和主義が採用された。日本国民というidentityを廃棄して国際平和主義に基づいて、人類の一員というidentityにおきかえ、国際社会の平和に貢献する個人を理想にした教育を実施してきた。現行の平和憲法も教育基本法も、この精神のうえになりたっていると思う。


 尊敬する作家の金城一紀さんは著書『GO』の中で在日朝鮮人、韓国人のこと、特にそのidentityについて書いている。もっとも小説であるので、あくまで主人公の意見として見なければならない部分もある。在日の人は日本で生まれ、日本で育ち、日本語を話すこともできる。だけど国籍は日本でない。法律上は外国人として扱われ、外国人登録証明書なんてものも要る。これってやっぱりおかしいのだろうか。正直、金城さんの作品を読むまでは知らなかったし、考えてもいなかった。なぜならそうやって生きてきたから。じゃあそれは悪いことで、いわゆる馬鹿なのかって言われれば俺は反論する。それが環境ってものではないのだろうか。identityの定義はすごく難しい。何をもって帰属なのか。社会の中のどんなグループからそれは含まれるのか。


 identityは帰属・属性から本人の根幹をなす思考性や精神性を示す。しかし、ideologyはidentityと異なり、人生経験上ではなく、人間形成された後で学問的に作られる思考性であり、精神性はない。この2つはよく混同されるが全く違うものである。愛国心や愛郷心とidentityは密接に関連し、ideologyは全く関連性がないというもの。権威と帰属の象徴を示す最たるものが国旗や国家であり、世界的なスポーツイベントであるオリンピックや各種スポーツ大会では会場に国旗が掲揚され、試合前には国歌斉唱を行う。他のスポーツは分からないが、高校野球では必ず校旗掲揚と校歌斉唱が行われ、勝利チームには試合終了後の校歌斉唱という名誉や栄光が与えられる。甲子園なんかを想像すれば、それは容易に分かるし、高校野球が1番愛校心を感じる場ではないだろうか。


 スポーツの話題になったので、サッカー日本代表のユニフォームに関して。なぜ青が採用されているのかは不明。日本=青というのは伝統のようだが、その明確な理由は分かっていない。代表チームの場合は、多くがその国の国旗の色をベースにしている。ブラジルやアルゼンチンがその好例だが、ドイツ、フランス、スペインなども国旗の色をユニフォームのベースとしている。実際、2006年のドイツW杯で国旗の色とユニフォームの色に相違点を見出せるのは、日本、イタリア、オーストラリア、オランダぐらいである。このうち、オーストラリアは国のナショナルカラーである黄色と緑を採用している。オランダはオレンジ色だが、これは独立軍の軍服の色に由来しており、新国家建設の象徴として国旗の色と同様にオランダ国民に愛されている色。つまり、実際のところ、日本とイタリアだけなのだ。例外的なイタリアは「azzurro」と呼ばれ、国旗にはない青色を採用している。

 

 ここまで、批判的なとらえ方をしてしまったが、日本のユニフォームに青を採用している歴史は古く、1936年のベルリンオリンピックでは、ライトブルーを基調とするユニフォームが最古のユニフォームとされ、以降、初のW杯予選となった出場1955年スイス大会予選の時も青のが採用されていた。中学生の時に、剣道の授業で言っていたのは、紺や青というのは、すがすがしさを想像させ、剣道の袴や防具にそれが採用されているのは、紺や青がすがすがしさと共に、臭いを消すからだと言っていたw まぁ科学的根拠は疑問視されるところだが、浴衣、あるいは武士の武具を見ても黒や紺が圧倒的に多い。また海に囲まれた地理からも青は日本人に馴染みや愛着のある色といってもいいのかもしれない。1936年のオリンピックの時に何故青が採用されていたのかは分からないが、それが最古だとしても70年以上の歴史があるユニフォームと言える。これ自体に誇りを持っていいのではないか。たしかに、サポーターがREDSのようにスタジアムを真っ赤にすれば、それ相応の迫力はあるだろう。しかし、青=日本というイメージは確実にある。それでいいのではないかと思う。問題なのは、サッカー以外のスポーツは国旗に準じた色を採用していること。オリンピックを見れば一目瞭然。この問題は引き続き言われていくことだろう。個人的にはカッコよさでいえば、圧倒的に現状維持。理屈めいたことを展開していけば、白赤を採用してほしい。一新するならGOLD。黄金の国、ジパングだから。まぁ、青でいいのでは。この件とidentityが関連するかといわれたら疑問。ちなみに、1996年に青地に炎のエンブレムのユニフォームに変更されて以来のコンセプトは、青→日本の国土を象徴する海と空の色、スピード感、白→フェアプレー精神の象徴、チームワークの信頼感、赤→炎、熱い血潮、日の丸の赤だそうだ。


 ちょっと脱線したし、長くなりそうなのでまた続きを今度。



 おそらく初めてスポーツの優勝試合、胴上げを観ることができた。巨人×ヤクルト@神宮。何気に神宮も2回目。グラウンドと近くて意外と良い球場。リーグ戦のいいところ(観客とすれば悪いところw)は、いつ優勝するか分からない。サッカーにしてもね。だからこそ盛り上がる。去年のJリーグの鹿島の逆転劇のように劇的な展開、あるいはデットヒートを繰り広げてくれるからね、今年のJリーグも面白いことになってるね。残り3節で、1位から6位までが勝ち点3差。下も12位から17位までが3差。予想とかではなく、個人的にはREDSに優勝してほしい。最近のREDSサポーターにはちと納得いかない、アツい想いは分かるが、選手が必死につかんだ勝利に関しては共に喜び、賞賛の声援をかけてほしいなと思う。たとえ、J2の愛媛でも1発勝負の天皇杯だから簡単に勝てるわけではないはず。おまけにACLとの過密な日程。そのACLは連覇を逃してしまったので、リーグ、天皇杯どちらか獲ってほしい。鹿島もいいサッカーしてるので、来季はACLリベンジしてほしいから、そのためにも頑張ってほしいね。一方の降格争い、札幌が決まって自動降格は残り1チーム。入れ替え戦は今回は置いといて、どこが17位になるか。磐田、千葉、VERDYには頑張って残ってほしい。大宮がいいかな~w 藤本あんま好きじゃねぇし。


 サッカーにそれてしまったので、野球に戻って・・・。大リーグにしろ、プロ野球って1発勝負がないんだよね。ワールドシリーズにしろ、日本シリーズにしろ3回は負けれる。リーグ戦ともなれば尚更。長いリーグを戦うからには、俺はやっぱりクライマックスは反対派。交流戦についても俺はどっちかというと反対。やるにしても長い。隔年でやるとか良いと思うんだよな、対戦チームが異なると公平性にかけるという点はわかるからね。導入当初はリーグごとの記録とかあるから、どうするのかなと思っていたけど、結局シーズンの記録に入れていたし、曖昧。大リーグはシーズン中に移籍すると、記録は1回リセットしてるんだよね。


 あとは、巨人がパリーグ行って、楽天か日ハムがセリーグに行くと面白いと思うんだよな。「行く」というのは本拠地も変えるということ。人気、実力を兼ね備えている(と思っている)巨人は首都圏にあるべきとは思うけど、DHも使えるしいいと思うんだよなぁ。もしくは本拠地の天然芝化。あれだけ金あるんだからさ。サッカー界があれだけ積極的に芝に関する運動をすすめているのに、それ以上に資金に恵まれている野球界は何故と思うのが普通というか今までも結構言われていたよね。日本の気候上難しいとか、利用回数が多いので傷みやすいとか言われていたけど、そんなのどうにでもなるだろと思う。あとはグラウンドに対してもっとpriorityをつけるというか、もっともっとspecialであるべき。それはYankeeStadiumに行ってすごい感じた。かたや東京ドームはあらゆる野球の試合、特に社会人野球やアジアシリーズ、WBCの予選にも使われているし、アメフト、あるいはコンサートなんかにも利用されている。メジャーのメトロドームをモデルにし、そのメトロドームは世界最悪の球場と言われ、今季でなくなる。つまり、概念的には東京ドームが最悪の球場になるわけだw 最悪の球場がアジアの舞台の中心でいいものか、と。1シーズンは宮崎に本拠地を置きましょうw 集客力は落ちるかもしれないが、面白いはず。で、東京ドーム跡地に天然芝の素晴らしい球場を作ってください。

ぼくたちと駐在さんの700日戦争 コレクターズ・エディション
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公開してる頃から気になっていたんだよね、コレ。かなり笑えるのだけど、もっとバトルが続いても面白いはず。プラス結局700日描かれないというのが少し不満。blogが原作らしいので今度見てみようっと。あとは俺の中では特段、批判はしたくないです。最近感じるのはあの本はダメ、この映画は駄作、あの店のなになにはショボイ、みたいな批判、非難をすることやそういう人がかっこいいというか知識があるように捉えられる風潮があるし、それはどうなのかと思ってしまう。もちろん自分の感性というか率直な意見としてそれがあれば良いんだけど。普通に爆笑できるシーンがあったので、俺としてはgoodな映画です。



 行き帰りも含めると約1週間。片道12~13時間という過酷なフライトだったが、これを経験し、越えたことでキャパが広がったというかどんなフライトだろうが、かかってこいという感じ。ただバスだけはNG。横浜~成田間でキツイ。


 今回は全体的なNew Yorkの感想のみで。


 まずはやっぱり英語の聞き取れなさに萎えましたw こちらが言いたいことは伝えられるのだけど、ちょっと速くなったり、いわゆる日本教育、受験勉強で勉強してきたものにはない表現であったり、フランクな表現をされると勘に頼るしかない。大学の外人教師とかはいかに簡単な英語を使ってあげるかという点で相当ストレス溜まってるだろうなって思ったねw 英会話、これマジで頑張って身につけなければ。どんな店にしろ、もちろんスタッフによりけりだが、基本「働いているこちらが偉い、上」という意識が伝わってくる。陽気な彼らはもちろん客に話しかけてくるが、英語が話せない日本人には(と思われてしまっていると感じた)、まるで話してこない。何度かやりとりは出来たし、ギャグなんかも理解できた。こういう瞬間はたまらなく面白い。相方に日本人に何故話しかけないのかと問われたが、俺としてはよっぽどのことがない限り、わざわざ海外に行って何故日本人と話さなきゃいけないのかと思ってしまう。前述のとおり、苦労しながらも、現地の人とコミュニケーションを図れるということほど、面白い、楽しいことはないと思うのだが。まぁ情報を聞いたりなどという点では、良いと思う・・・あと女の子に国籍はないw 日本人だろうが、話しかけたいと思うよな。


 あとは、9.11の影響か、いたるところに国旗が掲揚されているっていうのが大きな印象。もちろん9.11以前を知らないので分からないが、祝日に一部の人が門前などに日の丸を掲揚しているのは見かける程度の日本人の俺としては異常ではないかと思うほどのpatriots,愛国心を感じた。おおげさではなく、回数的には100回は星条旗を見たと思う。もうひとつの考えは、多民族、多国籍が集まるNew Yorkだからかなとも思った。ここはAmericaだぞみたいな感じ?上手く言えないけれど。


 印象の良い悪いでいうと、捉え方によるけど半々。良い、スゲーと感じたのはやっぱり雰囲気。全てがくっきりしていて、オシャレというか、広告や店構えなんかとってもシンプルなのに、カッコよく思える。でいて、歩いている人はみんな良い目をしてるというか、生きた目というか自信に溢れている。あとオーラで活動的なのが伝わってくる。驚いたのは、activeさ。そこらじゅうみんなジョギングしまくってるからねw それがまたカッコイイ奴ばかり。走る人、子どもが遊ぶ風景、ベンチで読書etc.、Central Parkの雰囲気は最高だったし、常に動き回っている街中とは違うactiveさというのをあそこでは感じた。ホントに彼らは止まらない、赤信号もクソもないw 


 続いて、悪い印象。環境への意識の低さ。夜景として見ればものすごく素晴しくて圧巻なんだけど(“捉え方による”と言ったのはこの点)、いつまで明るいんだよみたいなのもあるし、Times Squareのネオンは環境問題の活動なんかしてる人から見たら、「は?」って感じなんだろうなってw もちろん東京などの日本の大都市も他の都市のことを言えたわけではないけどね・・・。もうひとつがゴミ。何でもありですw 分別とかはまるでない。紙ごみから、プラスチック、ビン、ペットボトル、何でもひとつ。街の美化という面で、ゴミ箱があちこちに置かれているのはとても良い。ポイ捨てと言う概念もなさそう。一部例外としてはスタバやマックとかは分別つきのゴミ箱が多かったが、清掃とか、店のスタッフの意識を見ると、個人個人の意識という点では日本の方が全然上な気がする。ただ、日本の街もそれなりにきれいだが、人口何かを比較すると、街の景観としてのレベルは高いと思った。


 街を歩いていれば、アジア人とかは観光客と現地のビジネスマンとではオーラが全然違うんだよね、一瞬で区別つく。こういうところにいると、やっぱりいろいろと洗練されていくんだろーなぁって思ったね。うらやましいw


 ニューヨークは人種のるつぼだ、アイルランド系市民、ユダヤ系市民、イタリア系市民、スペイン系市民、世界各国からありとあらゆる人種が集まってそれぞれの国の習慣や生活様式の違いをうまく溶かしこんで生活しているエスニック社会。

 

 そのなかでうまくやってゆくためには、相手の立場を認めること、アイデンティティーを見失わないこと、そして孤独に耐え得ることが必要条件。


 これは『島耕作』の中で、島耕作がNew Yorkへ赴任する場面(約20年前くらい)で書かれていたもの。今となってもこの文が非常に分かるというか、伝わり、通用する。こんな都市は他にはないのではと思う。これに付随するかもしれないが、人種というものは非常に意識した。まるで知識がないので、やみくもに思ったことを言うのは良くないが、素直に感じたことを・・・。日本でいうフリーターや今で言うと派遣アルバイト的なもの、いわゆるブルカラーというやつか、そういった仕事をしているのは圧倒的に黒人が多いと感じた。飲食店や、屋台、警備員、New Yorkを支えているのは間違いなく彼ら。行政や経済面ではなく。taxiのドライバーは圧倒的にプエルトリコ系やメキシコ系が多いと聞いた。こんなことは思いたくないし、書きたくもないのだが、職種として、あるていどの“区別”的なものを感じ取ってしまった。『島耕作』の中でも、こういった部分は書かれる。もちろん、弘兼さんの批判もあってのことか、理不尽は通らなくなる。ただこういったものは日本にいてはあまり感じない。日本の外資系ではそういったことは感じないし、WALL街でもそういった雰囲気はなくいろんな人種の人がスーツを着て、ベンチに座ってコーヒーを飲んでという、映画に出てきそうでもあり、思い描いていた通りの光景は目にした(もっともWALL街は観光客で溢れかえっていて、彼らにはかなり迷惑なことだろうと思ったw)


 なんか、これといって面白いことも書けず、ひたすら思ったことだけ書いてみた。Cambodiaのときは、人とのつながり、優しさ、温かさを感じまくり、アジアはいいなと思ったけど、今回は楽しいことと言えば、野球とかいわゆる観光スポットに行った時くらいで、あとは考えさせられたり、凹んだり、刺激の強い旅だった。正直、アジア人であることにコンプレックスも持ってしまった(日本に帰ってくれば、時々しか感じなくなったが)。喜怒哀楽で言うと、喜と哀の中間といったとこ、楽しいという感じはあまりない。

 

 今度、写真などもまじえ、備忘録で訪れたとこを時系列で書いてみようと思う。