CAPDの頃 | もこブログ

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CAPDの頃


腎臓内科外来は、1ヶ月に1回でした。


腎臓内科外来が、終了して数日後に

バクスターさんより電話📞が

あります。


バクスター「お薬の事ですが。」

と前置きします。

けっして透析液などと言う言葉は

使用しません。患者さんに配慮しての事なんだと思います。


いわゆる透析液であるダイアニールと回路の配達の連絡です。


配達は、日通さんがします。


うちが当時、住んでいたマンションの間取り、玄関の横に半畳のスペースがありました。そこの半畳のスペースにダイアニールと回路を日通さんに運んでもらいました。


以前、書きました。

うちは、おしっこが沢山出ます。

ろ過が出来ません。

その為、透析液は、本当に少なくて

すみました。


透析液が沢山ある患者さんも

いらっしゃいます。

日通さんの仕事は、透析液を

おうちの所定の場所に置く事です。

患者さんの中には6畳の部屋のほとんどに透析液を置く事になる方もいらっしゃいます。


CAPDの小雑誌を読みますと

広島県の尾道など

坂道の多い場所に日通さんが運んでくれるのが、大変ありがたいと書いてありました。


そうなんです。


透析液を運んでくれる日通さんが

いないと腹膜透析をする事が、

出来ません。


大変ありがたい事でした。