寝るです。



とにかく脳みその不具合であるから、

休ませるしかない。


昨夜は悪夢にうなされ続け、

寝た気がしなかった。


父親の夢。

リアルに言い争ってる。

あの、目が座ったような

独特の表情を 今目の前で見ているように夢で見ていた。


とても頭の良い人で、

手先もめちゃくちゃ器用で、

小さな町工場をやって財をなした。

リアル「3丁目の夕日」である。


忙しいときは徹夜で機械を動かしていた。

従業員がいたこともあった。

おばあちゃんの後ろをいつも銀行の人が追いかけていた。


が、1970年代の「オイルショック」で

仕事は激減した。


お客さんがピタッと来なくなった。


忙しい時も父は病んでいたが

暇になったらもっと病んだ。


暴言暴力。

子どもには絶対手を上げなかった代わりに、母がいじめられた。いわゆる面前DVだ。

母の手にタバコを押し付けた。

母は言うことをきかない私に仏壇のお線香を押し付けた。



父親は町工場を切り盛りするくらい小器用な人なのに、車の運転だけは下手だった。免許を取るために何十万使ったかわからない。

何か 発達に障害があったのだろう。


動物もいじめた。

飼っていた犬の口に輪ゴムを巻いたりして面白がっていた。(まったく面白くない)

特に猫が嫌いだった。

「汚い足で家の中に入ったら殺す」と言った。

本当にやりそうで、私は何度か飼い猫を連れて親戚や友人の家に逃げた。


お金に関してはどけちだった。

どんなに頼んでも、水洗トイレにしてくれず、お風呂にシャワーも入れてくれない。

工事費は私が出すからと言っても「維持費がかかるからダメだ」と 譲らなかった。


私の祖父、父の父、の介護が必要になり、お風呂に入れようとしたときも、お風呂の椅子もシャワーもなく、私はポータブルトイレの中の入れ物だけとってシャワー椅子にして、お風呂の湯を手桶でかけながらシャワーの代わりにした。


父も祖父には愛情を持っていたが、

独特のこだわりがあったのか、

一度もポータブルトイレのなかみを捨てたことがなかった。見たこともなかったと思う。


私と母が弟のいた仙台に2泊3日で泊まりに行って帰ってきた時、ポータブルトイレのなかみが溢れそうになっていた、あの光景はいまでも私のトラウマの一つだ。



こんな父に彼が◯んでからも囚われている。

私は本当にかわいそうだ。

弟は早くに家を出て、数えるくらいしか帰ってこない。

しかし父は長男である弟のことを可愛がっていた。これは母も同じだ。

私がどんなに苦しんでも、「お姉ちゃん」は「お姉ちゃん」である、所詮。

私が生まれたとき

父はがっかりして家の階段に座り込んでいた、と母から何度も何度も聞かされて育った。

そんなこと言う親って…。


父も母も

私をみてくれていなかった。

時代的にも高度成長、仕事に追われ子供どころではなかっただろう。それは仕方ないと思う。けれどその結果として、還暦すぎても自分の中の寂しさとどうしてもうまく付き合っていけない自分がいる。これはどうしようもない。


そんな父に土下座をして、

今住んでるこの家をキャッシュで建ててもらった。

ダンナがローンで建てた家には

ダンナの母親、こちらもたぶん「自己愛性人格障害」 が住んでいて同居は不可能だった。

アパート代と家のローンがあって、ダンナ定年退職になったら中◯家はお手上げである。子どもはこれから中学生になるところ。

頼るところは1番頼りたくない父親しかなかった。父は孫である私の息子だけには甘かった。孫のためにとこの家を建ててくれたのだろう。

息子が娘だったらぜったい建ててくれなかったと思う。どこまでも男尊女卑だったな。


私はいまその家に住んでいて、裏には空き家になっている実家がある。

思い出さないでいようとしても、それは無理なロケーションだ。


仕事から少し解放され

無防備になった私の心に忍び込んでくるのは、

辛かった子ども時代や、独身のころの親との葛藤だ。




2階から下を見てる。リビングと繋がっている北側のフロアに薪ストーブがある。階段はこのまま左に曲がって2階に上がってくる。真ん中にあるまっすぐな1本の横木は檜だ。パパと息子が伊那谷の森へ行って選んできた。私はこの木が大好きだ。2階のこの場所から眺めたり、階段の上り下りのとき、そっと触ったりする。

真冬にさわると温かく、真夏に触るとひんやりと冷たい。

「私はあなたの味方だよ」

「あなたのところに伊那の森からやってきたよ」


私の気持ちがどんなに荒んでいても、

どんなに寂しくても

この木は変わらずまっすぐで清々しくもあたたかい。悪い気を全部吸ってくれてなお強く頼もしい。


ありがとう。

思わず私はこの木にお礼を言う。

涙が出る時もある。

その涙は 魂の深いところで

私を優しく癒してくれる。

そんな温かい涙の 出る時があるのだ。