こんばんわニコニコルンルン
お久しぶりです。

今年、2024年、最初の投稿ですキラキラ星

ずーっといろいろ投稿したいなぁって思ってたんですが、ズルズルしてましたアセアセ

でも、やっぱ学んだことや教えられたこと、示されたこととか、どんどんアウトプットしなきゃですよね。
そのことを思わされてます。

もう今年というか、新しい年に入ってもう半月近くになっちゃったけど、今日からリスタ(リスタート)ですグーダッシュ気づき

これからよろしくお願いしますラブラブ


さてさて、今朝みことばを味わいました。

ぼくはclayってデボ手引きを使ってみことばを味わってるんですが、今日、味わいながら、聖餐式について教えられたので、そのことを分かち合いたいと思います。

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"さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」"
マルコの福音書 14章 22節
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これ、イエス様の、いわゆる「最後の晩餐」って言われてる箇所です。

でも、これはイスラエルの祭りの中でも重要な「過越の祭り」で、イエス様ご自身がこの時過越の祭りを導かれたんです。

凄い贅沢!
だって、イエス様が導かれ、その意味を解き明かされた過越の祭り。
そして第一回目の聖餐式。
弟子たち、羨ましくも感じます。

でも感謝です。
だって、ぼくたちはみことばを通して、聖餐式の本当の意味、そして恵みを味わうことが出来るんですからね。

さてさて、過越の祭りなんですが、その順番って知ってますか?
こういう順番で執り行われます。

まず、第一の杯が配られます。
これは「感謝の杯」と呼ばれるものです。

次に、この儀式を執り行われている家の母親か娘が、水の入った鉢とタオルを持って回られます。

そして食卓に着いた人たちは、その水で指を洗い、タオルで拭きます。

ヨハネの福音書13章には、イエス様の洗足の箇所がありますが、これがそれなんです。

なんとイエス様は母親か娘がやるところをご自身がやられ、しかも自ら、手ではなく、一人ひとりの足を洗われたんです。

イエス様のしもべの姿がここからもわかりますよね。


次に、第二の杯が配られます。
これは「裁きの杯」と言われますが、福音書にはこの杯については触れられていません。
でも行われたことは確かです。


その次に、パセリを塩水に浸して食べます。

パセリの葉っぱって、まっ、当たり前ですが緑色ですよね。
この緑色は若さの象徴です。

これは、「イスラエルがまだ若い国だったとき、神様は紅海を通って彼らを救われた」ということを象徴的に表しています。

イエス様が誰がイエス様を裏切るのかを伝えた時、こう言われました。

"イエスは言われた。「十二人の一人で、わたしと一緒に手を鉢に浸している者です。"
マルコの福音書 14章 20節

このイエス様と一緒に鉢に浸す行為、これがそれです。


さて、このパセリを塩水に浸して食べた後、次に、種なしパンが配られます。

さて、過越の食事では、「アフィコーメンの儀式」と言われるものが行われます。

食卓に亜麻布で出来た袋が用意されます。

この袋の中は、3つの部分に分かれています。

各々の部分に平べったい形をした種なしパンが入れられます。
合計3枚です。

これは三位一体の神様を表しています。

真ん中のパンは、そうですよね、子なる神様、イエス様を表しています。

そのパンは二つに裂かれ、その内の半分だけ食べて、残りの半分は布に包んで家のどこかに隠されます。

それからメインコースを食べます。

食事が終わると、隠しておいた残りの半分のパンが持ち出され、布から出され、食されます。

つまり、「アフィコーメンの儀式」は、メインコースを挟んで前半と後半に別れていたということです。

で、前半はイエス様の十字架を、後半はイエス様の復活を象徴しています。

イエス様はパンを取られ、「取りなさい。これはわたしのからだです」と言われました。

この時のパン、つまり「これ」は半分に裂かれた種なしパンの片側のことなんです。

そして、このパンは、イエス様のからだを象徴しています。

このパンは、出エジプトの出来事を記念するための種なしパンでした。

このパンは、イエス様には罪がなかったことを象徴しています。

このパンを食べる人、つまりイエス様の十字架を信じ受け入れた人は、罪の贖いを受けるっていう約束なんです。


さて、この半分に裂かれた片方種なしパンを食べた後、次に「ハロセット」と呼ばれる食べ物が配られます。

これは、りんご、ナッツ、蜂蜜、シナモン、ワインなどを混ぜて作られたもので、見かけは泥を捏ねたような食べ物です。

これは、エジプト時代に、レンガを作らされていたことを思い出すための食べ物です。

家の主人が、ハロセットをパンの上に取って、それを客に配るのが当時の習慣でした。

ヨハネの福音書13章26節で、イエス様はパン切れをイスカリオテのユダに与えておられますが、これはハロセットを乗せたパン切れなんです。

この時点で、イスカリオテのユダは席を離れます。


その後に、メインコースが出されます。

そして、メインコースの後、第三の杯が配られます。
これは「贖いの杯」です。

イスカリオテのユダは、「贖いの杯」に与ることはありませんでした。

イエス様は「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」とお語りになられました。

ここで、イエス様が十字架上で流される血潮は、罪の贖いのためのものであることが明らかになります。

イエス様はこの「贖いの杯」を私たちクリスチャンとの契約の杯としてお用いになったのです。

さて、この杯はイエス様の再臨を指すものともなっています。

イエス様は言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません」とお語りになりました。

「神の国」とはメシア的王国、つまり千年王国です。

イエス様は千年王国が設立される日まで、もはやぶどうの実で造った物を飲むことはありませんって言われました。

なんと、千年王国の時、ぼくたちはイエス様の導きで過越の食事を頂くんです。

だから、冒頭に書きましたが、パッと見は弟子たちが羨ましく感じますが、でもこの後、もっともっと凄い過越の食事を頂くことが出来るんです。

これはイエス様の千年王国の時の預言です。

これだけでも、再臨が楽しみですね!


多くの教会では、月初めの日曜日に聖餐式を持ってるんじゃないのかなって思います。

でもその内容をどれだけ理解してるかは疑問です。

大体、聖餐式のパンに食パンを使っていること自体、わかってない証拠ですね。

聖餐式でパンとぶどう酒を頂くとき、私たちは罪が赦されたことと、イエス様が必ず再臨されること、その時過越の祭りが行われることを告白しているんです。

イエス様を信じ受け入れた人は、イエス様を通して、父なる神様と契約に入った人です。

私たちはイエス様の十字架上で流された血潮で、罪が完全に贖われたんです。

たとえ目に見える現実が失敗だらけだったとしても、天的には、つまりイエス様の目には聖人なんです。ぼくらはきよいんです。

そして将来、近い将来イエス様が天からこの地に迎えに来られるとき(携挙)、ぼくらは栄光のからだに変えられます。一瞬の内にです。

今はその過程なんです。

そして気づいてないだけで、昨年よりは今年、昨日よりは今日、ぼくらは変えられています。

一歩一歩イエス様の似姿に聖霊さまが日々造りかえてくださってるんです。


2024年、イエス様が再び来られることを待ち望み、みことばにしっかり立って、歩んでいきましょうね。

マラナタ、主よ早く来てください流れ星キラキラ星キラキラスター

でわでわバイバイ