ある人が教えてくれた。
「自由とは、他人の意見を挟まず自分の表現が出来ること」
正確な言葉は覚えてないけど、上記のようなことを感覚で受け取っている。
シュタイナーか誰かの言葉だったと思う。
本当にそうだよなぁ、不自由さってやっぱり自分の思考で作っているのよねー。
みんなもやってるのではないかしら?
「普通は」とか「一般的には」とか「常識として」とかを挟んでから自分の立ち位置を決めて表現しようとすることが。
厄介なのはそれを誰かの思いと認識せず、自分のものと勘違いしてしまう。
その人ならこう考えるだろうと成り切って自分のもののように扱ってしまう。
私は周りを気にしてしまうので、大いに挟んでいる。特に「母はきっとこう思うだろうから」というのは挟みがちだ。
半年前くらいから「これは自分の思いじゃない」と思うものについては、「自分の思いじゃないから思考ストップ!」っていうのをやり始めた。
まだ他人を挟むクセは残ってはいるのだけど、だいぶ身軽になったような気がする。
それとともに、今まで他人ありきで生きてきたようで、自分から溢れ出すような思いが全く出てこなくなった。
思えば叶うのを知ってるのに、思いが出てこないというのは、何とももどかしい。
「今はひとまず自分を空っぽにする時期」と思うことにした。
そんなことをやり始めたら、仕事がどんどん減っていく〜w
笑い事でもないんだけど、やっぱり内側が外側の現象を作るって本当なんだなぁ。
毎日が休日のようにまったりを堪能している。
さて、空っぽにするのにも飽きてきたので次に進みたいところ。
次はいよいよ大いなる意識へと本格的に拡張していくのではないかと、なんとなく期待している。
そして本当の自由を手に入れたい。