出雲大神宮・丹波国一宮(亀岡市) | 神社ぢからと寺ごころ

神社ぢからと寺ごころ

寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

昨日はエイプリルフールでしたけど、面白い嘘が思いつかなかったわけではなく、書きながら寝落ちしただけです。

エイプリルフールに限らず、自分に嘘はずっとつき続けてますから、年中エイプリルフールみたいなもんですわ。

そしていきなり本題入ります、

一宮は旧国名の地域の中で一番社格が高い神社という位置づけですので、その地域のどのあたりにあるかや、現在の交通の便によって、同じ旧国内であってもかなり行きやすさが変わります。

今日の記事は丹波国の一宮なんですけど、近隣の播磨国も但馬国もそのあたりの一宮は行きにくいんですが、丹波国一宮は亀岡市にあるのでわりと行きやすい部類に入ります。

亀岡駅からバスが出てまして、出雲大神宮前で降ります。

出雲大神宮
これ千年宮鳥居です。

さざれ石

こちらが一之鳥居です。

しあわせ、なでうさぎ

手水舎

真名井のいずみ

夫婦岩

大国恵比寿舎

拝殿

狛犬

中門でいいのかな。

本殿
御祭神は大国主命と三穂津姫命です。

旧名は出雲神社といいます。

元出雲の別称ごあり、社伝によると出雲大社が出雲大神宮からの分霊を祀るとされています。

出雲大社は明治時代に至るまで、杵築大社を称していたため、江戸時代末までは出雲の神と言えば出雲大神宮を指していたとされています。

いわゆる本家争いのようなもので、出雲大社とは疎遠であった時期もあったようですが、2平成21年の社殿創建1300年を境に一層の交流が始まり、近年は良好な関係だそうです。

写真では撮れてませんが、参道に立つ社名標は出雲大社の元宮司である千家尊福の筆によるもので、平成26年に造られた正面の石碑「丹波國一之宮 出雲大神宮」の揮毫は出雲大社現宮司の千家尊祐の筆だそうです。

拝殿前の高札
大八洲國國祖神社と書かれています。

これはここ出雲大神宮のことで、皇祖より以前壱萬年以前、又の名而して御神体山御影山は國常立尊の神蹟なり
出雲姫年久しく奉仕する出雲姫薨じて美穂津姫命と諡される、と書かれいます。

御神体山に向かいます。

前に来た時よりも案内が充実していてわかりやすかったです。

陰石といってもよさそうな石

道の左右に注連縄がされた石が多くありましたが、磐座というより磐境、参道両脇の灯籠のような感じに思えました。


石鳥居くぐります。

春日社
社といってますが、磐座です。

本殿後方に位置する磐座

神乃磐座と名付けられてるみたいです。

古墳らしいです。

稲荷社

みかげの滝

さらに登ります。

ほんと案内が増えてて助かります。

これ陽石に見えましたけど、よく見ると陰石のほうがそれっぽいかな。

上の社
御祭神は素戔嗚尊と奇稲田姫尊です。

出雲大社の素鷲社と同様の位置付けですね。

あ、うっかりしてました。
奥の磐座の登拝は社務所で申請して、襷もらわんといけないんだったわ。

急いで社務所に戻り、受付をして戻ってきました。

道の左右に点在していた注連縄のついた石ですけど、これだけ別格のような扱いに見えました。

いよいよ国常立尊の御神体山へ。
というか出雲大神宮自体が御神体山の領域にあるみたいですけど。

磐座群と案内ありましたけど、あんまりよく見えないんですよ。

ここの『尊』と『命』の使い分けのラインがなんとなくわかりましたよ。
主祭神の大国主ですら『命』なのに、

素戔嗚と奇稲田姫、そして国常立は『尊』なんですよ。


なんか共感できる線引です。


国常立尊の磐座
まあ、この御影山自体が御神体ですから、磐座のようなものです。

違う道から下りていきまひて、陽石っぽいやつ。

陰石っぽいやつ。

笑殿社

崇神天皇社

こちらは厳島神社かな?

弁財天社でした。
どのみち同じようなもんですわ。

受付で下山したことを告げて終了です。

別の方向から出ることにしまして、荒神の社。

禍々しい石が祀られてました。

西側の鳥居から出ます。

マジンガー鳥居ですね。

鳥居出てちょいのところ。

右が黒太夫社、左が祖霊社
上の社に対して、黒太夫社は下の社とされているようです。

御祭神は、猿田毘古神、大山祇神、山の神です。

丹波国一宮の御朱印

亀岡まで来たら神仏霊場で行っておかねばならないお寺ありますもので、そちらに向かいます。