十日戎の宝恵駕籠行列 | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

闇雲に寺社を回るのも、そろそろ潮時かと思うようになってきました。


原点回帰というほどでもないけど、初心に帰るといいますか、単純なこと。


『行きたいとこに行く』


目的は様々ですが、義務感ではなく、行って満足できるとこに行きたいなと。


そんなわけで令和6年は、霊場巡りと男根巡りを主軸とします。


去年と変わってないやんって思われるかも知れませんが、男根ありきで予定を組むことが増えると思います。


それと、今年はコロナ禍も明けたため、全国で祭りも通常開催するとこが増えてましたので、積極的に赴いてみようかと思っております。


いわゆる奇祭にも参列したいところです。


そんなわけで、今年最初の祭りは今宮戎神社の十日戎なんですが、商売人ではない僕が十日戎に行く必要性がありませんので、それに付随する行事、宝恵駕籠行列をレポートしてきました。


二百年以上前に大阪ミナミの芸妓衆が派手に駕籠をくり出して今宮戎神社に参詣したことが始まりで、 最盛期は明治・大正・昭和の戦前、百挺もの駕籠が華麗を競ったといわれています。


 芸妓をはじめ、時の著名人などが行列に加わり盛大に賑わったといわれます。


伝統は今日に引き継がれ、芸妓衆をはじめとして、歌舞伎俳優、文楽人形、日本舞踊上方舞、落語家、タレント、スポーツ選手、福娘、ミナミの商店街が参加しております。


コロナ禍で中止になっていたので、今回は4年ぶりの宝恵駕籠行列となります。


午前10時ごろ、戎橋東詰に駕籠が集まってきます。


以前はここに舞台を組んで開会式やイベントを行っていたのですが、今回は無かったです。


福娘も数人いましたけど、カメラマン達に前からは占拠されてましたので、僕のいた場所からは横からです。


ここに集結した駕籠が今宮戎に向かうわけですが、今回レポートするにあたって一番なじみのある文楽人形の宝恵駕籠の近くに待機です。
 
福娘の移動と共にカメラマンたちはついていきますので、前方の空いたところで、人形浄瑠璃文楽座から吉田一輔さん。

同行の桐竹勘介さん。

しばし待ちますと本体の行列がやってしました。
元々はミナミの芸妓さんが発端なので、それを尊重して今はなき南地大和屋のあった場所、現在はホテルなんですけど、そこでの出陣式を終えた一行です。

一段と賑やかになってきます。
それぞれの駕籠から流される曲は、『宝恵駕籠、宝恵駕籠』という芸妓衆の歌と南地小唄です。

桂春団治の出囃子で有名な野崎の合方を流している駕籠もありました。

今回の芸妓さんは、佳世子さん。
初めてお見かけした時は20 歳ぐらいだったと思います。
 
数年前までは、祐子さんが乗られてたかと思います。 

松竹芸能からは藤山扇治郎さん。
とても人柄がいい方なのが見て取れます。

上方舞の山村流宗家の山村友五郎さん。
この方も気さくな方です。
  
本体が合流して、大阪締めして巡行開始となります。
 
戎橋商店街を南下していきます。

途中、本体と巡行しない駕籠がありまして、その都度、大阪締めをしていきます。

大阪締めとは、『打〜ちましょ!パンパン もひとつせ!パンパン 祝(いお)うて三度!パパンのパン』という手締めです。

『打〜ちましょ』の部分は、『打ちま〜しょ』とか『打〜ちまひょ』とか微妙に違うパターンがあって、それぞれ正当性を主張してますけど、実際のところはわからないです。

MBSの前田春香アナウンサー

商売繁盛の祭りなので、商店街を練り歩きまして、なんばグランド花月前。

大阪プロレスの、えべっさんいてはりましたよ。

吉本興業からは間寛平さん。
僕ね、間寛平さんの髪型が好きで、東京いた頃、髪切りに行って『寛平ちゃんみたいな髪型にして』って言ってやってもらってました。
 
地元の帰って来てから、幼馴染の散髪屋で同じように言ったら、『まぶたに三角書こか?』って言われました。

そっちの髪型ちゃうねん。

なんばグランド花月前でまた大阪締めしまして次に向かいます。

写真撮れてませんが、上方落語協会からは桂文枝さんが駕籠に乗られてました。
 
あとブギウギの出演者の駕籠も出てましたけど、よく知らないので見に行ってません。

南海なんば駅の横を通っていきます。
コロナ前はこのあたりも左右にびっしり出店あったのですが、今年は無かったです。
 
アニメイト前でも大阪締め。

その後駕籠から降りまして、一行は今宮戎神社に入って終了です。