法華寺(奈良市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

記事はやっと11月に入りました。

以前近くまで来てたのですが、神仏霊場の御朱印帳を持ってきてなかったため見送った寺院に、日を改めて来ましたよ。

そういえばオススメされた神社を急遽追加して、この近くまで来たんだった。

二度手間にならないようにするには、すべての御朱印帳を持ち歩けばいいのですが、重いし嵩張るのでやりたくないんですよね。

まぁ、近場だしアクセスも悪くないし、周辺まだ行けてないちっこい神社あるしってことで、のんびり行ってしました。

法華寺って名前は知ってましたけど、来たことないので勝手に小さなお寺だと思ってましたんですが、立派な門跡寺院でした。

南門からは入れませんでしたので赤門からお邪魔します。

 
十一面観音像が御開帳ですと。 
でもこの日は11月18日だったので終わってますやん。

手水用の水道 

本堂

法華寺は、今から1300年ほど前、聖武天皇の后である光明皇后の発願によってはじまったと言われています。


父・藤原不比等の死後、皇后は子どものころから住み慣れた邸宅を皇后宮とされ、その後、皇后宮を宮寺に改められたのが法華寺だそうです。


正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、総国分寺である東大寺に対し、総国分尼寺として、女人成仏の根本道場としての役割を担ってしました。


皇后は法華寺において尼僧の仏学研鑚を勧め、女人成仏の規範を示されました。


また天皇崩御後は、天皇の菩提も祈られたそうです。


皇室と深いゆかりを持ち、皇室や摂家の姫君が門跡(住職)を務められました。


ほぼコピペでした。


これなあに?

石燈籠の台座か礎石か。

慈光殿も拝観できます。
宝物殿なのですが、中は撮影禁止でした。

僕いつもそうなんですけど、写真撮れないとこの仏像とかどんなんやったかすぐ忘れてしまうんですよ。

よほどインパクトのあるものじゃないとね。

その点、インパクトの強い陽石や御チン体、磐座なんかは忘れることないです。

護摩堂
池の中にあったので弁天堂かと思いましたよ。

鐘楼
 
浴室

浴室と書いて『からふろ』と読みます。 
『からふろ』とは、今でいうサウナのことです。

説明
 
井戸
 

光月亭

旧東家住宅だそうですが、今は休憩所になってます。
 
昔の生活用具が展示されてたりします。
 
お茶もいただけますので、ここで昼食とらせてもらいました。
 
境内の鳥居
 
お稲荷さんです。

喜市稲荷大明神という名。
 
社殿

薬師堂
 
横笛堂
現在本堂にまつる横笛像を安置していたため「横笛堂」と呼ばれます。

神仏霊場の御朱印
これにて神仏霊場巡拝の道の奈良は終了です。
 
残すは、大阪5兵庫4滋賀6京都18です。

こう書くとあと残り少なく感じますけど、合計33箇所ですから、これから観音巡礼始めるような数ですわ。

残ってるのは、西は書写山、北は舞鶴と天橋立、東は湖東、南は泉佐野ですから、ほんと西国みたいなもんです。

京都多いけど、市内がだいぶあるので行きだしたら早いかな。