腰神神社(富田林市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

今日5月9日って何の日かご存知でしょうか?

悟空の日なんですよ。

ドラゴンボールファンの息子なんぞからしたら当たり前のことらしいです。

ちなみに昨日5月8日が悟飯の日で、明日5月10日は悟天の日です。

うまく三日続いたものです。


さて、僕が神社とかの検索する時に、神社名でこれは!と思うキーワードがあります。
 
もちろん、『岩』とか『磐』とか『石』とかつくとこは掘り下げて調べますけど、これは表尼津彦の部分です。
 
裏尼津彦は、キーワードが違ってきまして、その中でも『腰』とか『足』とかつくと怪しく思って調べます。
 
どちらも下半身の病のご利益あったりしますでしょ。

陰陽石あることが多いんですよ。

極端な言い方すれば、腰の神は性交の神とも言えます。

表裏言ってみましたけど、最近ずっと裏なので、どっちが表かわからんようなってますね。
 
金刀比羅神社からさらに北に走りますと、見えて来ました赤い鳥居が。

腰神神社といいまして、嬉の腰神さんと呼ばれているようです。

腰神と言えば陽石があるのではと思ってしまうのですが、その理由も含めて書いていきますね。

まずはその鳥居から観察します。
石祀ってるみたいです。
 
お!いきなり陽石!
 
明らかにわかる形状のやつよりも、石だとこれくらいのほうがいいかもね。
いきなりあったので、もうこれで見るもんないかもと不安になりますが、順番に見ていきましょう。

なんか水汲むとこ
 
一応覗いてみるが、特になし。

かわいらしい不動明王。

なんか気になるコブ
 
道路から見えてたのはこっちの鳥居でしたわ。

国光明神
 
お稲荷さんですね。
 
陰陽石かと立ち寄ります。
違いました。

梵字と文字が彫られてたようです

こちらは八大龍王
でも元々は陰陽石だったかも知れませんよ。

立石が男根、丸石が女陰を表現することも多いので。

宝篋印塔
 
如意輪さんはわかりやすくていいね。
 
石みっつ。
 
なんだ、力石か。
 
でもこれ違うんじゃない?元々は。
まだまだちゃんと見ないと行けませんね。

尼津彦眼で見直してみます。
 
ん?これも陽石じゃないの?
 
残念。首のない石仏のようです。
 
板状の石の上に丸石ありましたよ。
丸石は女陰とも言えますが、これは道祖神、塞の神の類かも知れませんね。

そういうことか!

今更ながら気づきましたよ、道祖神の石の形状の謎が少し解けてきそうです。

今後も当ブログには道祖神たくさん登場しますので、その都度書いていきますが、道祖神の石ってオスメスあるように思えてきました。

なんでそんな簡単なこと今まで気づかなかったのだろう。

双体道祖神なんて言い方するから、それが特別なもんやと刷り込まれてたのかも知れません。

周辺の石も『何かだったもの』かも知れませんね。
 
藤の木
樹齢700年以上らしいです。
 
年老いた樹木って不気味ですよね。
この藤の木に、楠木正成が腰を痛めた愛馬を繋いで祈願したところ平癒したとか。
 
これが腰神さんの由来になるのでしょうけど、こちらの御祭神は箕島宿禰っていう紀伊国の豪族で、文武の師範として移り住んだみたいです。

大化の改新の頃らしいので、腰神と呼ばれる前のことです。

拝殿やと思ってたのですが、後で調べたら絵馬殿のようです。
絵馬見てないわ。

この神社の御神体は、金台寺山の山麓の巨石だそうです。

今回は金台寺山には登らないので見れないなって思って全く気にしてませんでしたが、大失敗こいてますよね。

巨石があるの『山麓』ですわ。

この絵馬殿の背後にあったみたいです。

そこからすっと石が山頂にむかって続いているらしい。

陰陽石に気を取られすぎて、元々の信仰が頭から抜け落ちてしまってました。

狛犬
横入りしてたみたいなので、正面の鳥居に向かって下りていきます。
 
振り返りつつ。
 
御由緒ここにありました。
 
正面の鳥居
このあたりは温泉地としても栄えたようで、腰痛の治癒のため、腰神神社にお詣りして温泉に浸かるという組み合わせだったみたいですが、温泉地には遊興施設がありますよね。

しかも少し南には、長野新地があったと言われてますし、青線だったとも言われています。

もうこれ、陽石の確定演出ですよね。

腰神とは、性病の神の一面もあるということです。
 

ひとつ寄り忘れたとこがありましたので、少し戻ります。