蛭児大神御輿屋傳説地(西宮市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

西宮駅に向かって歩いておりますと、たくさんの道祖神。
ではなく、ボラード。

いつも思うけど、これら山の中の神社とかにあったら、ご珍体ですよね。

もしやここは!
今回立ち寄る予定じゃなかったんですが、たまたま前の道通ってきたようです。

手水かな?
船形ですね。

蛭児大神御輿屋傳説地
蛭児とは蛭子のことで、西宮神社の由緒とされている伝承の地ということです。

とりえず西宮神社が言うてることを、コピペします。

長いてすけど省略すると僕がやりやすいように切り取ってしまいますので長いけど全文載せます。

読んてみてください。

御鎮座伝説昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。
漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。
蛭児の神。それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。
さて鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方、良き宮地を求めて出立しました。途中いく度か輿を下ろし休憩して行きましたが、ある所で一休みされたえびす様が、よほどお疲れになったか眠り込んでしまわれ、なかなかお目覚めになりません。困った漁師たちは、恐れ多いとは思いましたが、えびす様のお尻を捻ってお目を覚ましていただき、再び西へ向って進まれたという話も残っています。その御輿を置いて一休みされたといわれている処が、ここより東へ二百米程の札場筋角にある御輿屋跡地(おこしやあとち)といわれているところなのです。この様にして海より甦った蛭児の神は、えびす様としてこの西宮の地にお鎮まりになったのです。


このように書かれてました。

こういうの読みますと尼津彦ワールドやりたくなりますね。

久しぶりにやりますか。

その前に、文章は一色で装飾なくやってるのが基本の当ブログですが今回は色分けしてます。

まず赤い文字のとこ。

西宮神社の御祭神は蛭子ですが、習合してえびす神を祀る社として反映してるのは皆様のご承知のとおりです。
 
で、この由緒そのいきさつを説明せずにしれっとえびす神にすり替えてますよね?

伝承の合間に蛭児とは何かとおう説明盛り込んであたかも蛭児イコールえびす神だと誘導してませんか?

改ざんではないですが、ミスディレクションてすよ。これ。

次に青地のとこですが、違和感ありません?

しれっとすり替えた、えびす神のお尻捻って目を覚まさせたってとこ。  

さて、想像してください。

皆さんが思い描くえびす神の姿、タレ目のおっさんですよね?

それが寝てたとして、起こすなら超えかける、それてダメなら肩をポンポンと叩くとこちゃいますか?

なんで恐れ多いのにわざわざ尻を捻るねん。

おかしいてしょ?

尻を捻って目を覚まさせるって、大人にやることちゃいますよね?

たとえば生まれたての赤ちゃんが泣かなくて肺呼吸させるためにするとは、尻を叩いたりします。

そう。二神によって流された蛭子はまだ赤子だったので、その処置やと思います。

それをえびす神の由緒とするからおかしくなる。

この由緒は蛭子とえびすの両方を一緒に成り立たそうとするからおかしくなるんですよ。

西宮神社は古くから蛭子を祀り、えびすも祀る、これは紛れもない事実ですからね。

てことで尼津彦ワールドです。

そう。

まだ入ってなかったんですよ。

これまでは冷静な意見でしたから。

蛭子というのは3歳になっても立ち上がることもできなかったとか、手足が無いとまで言われたりします。

それを理由として二神が船に乗せて流すと記紀には書かれてますが、親の身としてほんまにそういうことやりますか?

やりません。

そういうことする人を民が称えますか?

称えません。

でも手放した。
 
おそらく理由があってのこと。

理由があったとしても捨てますか?

捨てませんよね。

でも捨てました。

捨てた理由はここでは述べませんが、ちゃんと出来レースで拾って育てる人が決まってたとしたら、やんごとなき理由で捨てなければならないことがあってもまだ安心できるというもの。

そうなれば、蛭子を拾った漁師というのがその人となります。

あ、この時点では僕も西宮神社の由緒と同じように誘導として捉えられてしまうのであかんことなのですが、たまたま明日の記事の神社の由緒がフォロー入れてくれそうなので、そこは明日まで待ってくださいね。

長くなってますのて、結論いきます。

ニ神が蛭子を船に乗せて流します。

それを金折命が広い育てます。

金折命とはニ神の重鎮で、のちの住吉神です。

西宮神社の南に昨日の住吉神社があり、その北には廣田神社がある。

西宮神社は太古は海辺なので、当時はそれより南に神社はあるわけないので、近代になってそこに住吉神社を建てるとこが嬉しいところです。

ちなみにこれほどメジャーな西宮神社ですが延喜式神名帳には記載がなく、比定されている大国主西神社があるだけです。

しかも元々は廣田神社の広大な社領の内であったんです。

神輿とか乗せる台かな?
ありがたいことに、次に行ったとこにも蛭子伝承ありましたので、続きやるかもです。

というか。そちらの由緒と比べてみて、そちらのほうが尼津彦的には真っ当なように思えたので、今日から尼津彦ワールド始めることにしたわけですが、大半言ってしまったので、どないよか。