氏神と産土と鎮守 | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

あけましておめでとうございます。

大晦日から産土さんで年越しました。

今回はこちら側の人でした。
飛沫防止のビニールがほどよい風避けになりました。

さて、僕はいつも産土という言い方しますが、現代では氏神が一般的になっています。

時代と共に言葉の意味は変わっていきますので、それはいいのですが、僕はあえて使い分けたいです。

本来の『氏神』とはなんぞやというのを説明するにあたり、『産土』と『鎮守 』との違いも含めてお話していきたいと思います。

まず本来の『氏神』ですが、これはそのまんま『氏の神』です。

氏というのは氏族、一族の先祖を祀る神社、その神様のことを指します。

有名なとこでは、中臣氏(藤原氏)の天児屋根や武甕槌、忌部氏の天太玉、物部氏の素盞嗚や経津主など。

要するに神代に先祖を遡れる豪族の先祖信仰です。

なのでそれに当てはまらない多くの一般庶民は氏神が存在しないか、わからないということになります。

ただ、旧家の庭なんかの小祠を氏神と呼ぶ例が多くあります。

◯◯家の氏神という先祖信仰という点においては、これも氏神と言えると思います。

じゃあ、普段『氏神』と呼んでお詣りに行ってる近所の神社はなんなの?ってことですが、これは本来『鎮守』『産土』と呼ばれるものです。

平安時代後期になりますと、荘園制により貴族や武士、社寺の私的領地が確立されます。

この領地の守護神として鎮守神を祀るようになり、氏神信仰は衰退していきます。

氏族社会の衰退と比例してのことです。

氏族の中でも、貴族や武士になった家系や、祭祀を司っていた一族の氏神などの氏神は残っていたと考えられます。

室町時代に荘園制が崩壊しますと、鎮守はそんな氏神に合祀されます。

そして三つ目の『産土』ですが、『産土』とは故郷とかの意味合いがありまして、『産土神』といえば自らが生まれた土地の神様のことです。

ですから、親兄弟でも『産土』が違うことがあります。

要約しますと、

氏神    先祖神
鎮守神    土地を護る神
産土神   生まれた土地の神

と、なります。

もちろんその土地で生まれそこで生活していれば、鎮守と産土の神は同一ということになります。

極端な例挙げてみますと、春日大社のそばで生まれた藤原氏直系の藤原くんは現在生家に住んでいるといった場合は、氏神と産土と鎮守は同一ということになります。

この藤原くんが京都の白梅町に住んだ場合は、鎮守のみ北野天満宮とかになります。

生涯のうち変化する可能性のあるは鎮守であると思っていいと思います。

物部くんだと、氏神は石上神宮だったりしますけど、生まれたのが橿原市の曽我町だったりしたら産土さんが宗我坐宗我都比古神社だったり、蘇我くんが桜井市の多武峰なんかに住んだ日にゃ鎮守が中臣鎌足を祀る談山神社だったりします。

もっとわかりやすく例を挙げますと、織田くんが福知山市の西中ノ町なんかに住んだ日にゃ、鎮守が明智光秀を祀る御霊神社になってしもたりするわけです。

実際にはもっと鎮守と産土の管轄エリアの重なり具合とかで微妙になってくるんでしょうけど、なんとなくそんな感じやと理解していただければわかりやすいと思います。

鎮守に関して言えば、神仏分離と同時に行われた神社合祀政策や廃藩置県で区分が変わったりして、小さな村の鎮守なんかは合祀され廃止されました。

総鎮守って言葉聞かれたことあると思いますが、あれは小さな村々の鎮守を合祀したため、鎮守エリアが広くなったことによると思います。

もちろんそれぞれの鎮守は残っていても、それらの上級管理としての総鎮守もありますから、すべてがそうであるとは言えませんけどね。

また時代によっては、現代の『氏神』のように同一化されてることもありますので、注意すべき点はあります。

長々書きましたけど、そんなところも頭の隅に置いて地元の『氏神さん』に初詣に行かれると、合祀神や摂末社が楽しめるかも知れませんので、お試しください。

本年も当ブログの読者様のご多幸をお祈りすると共に、僕のご多幸もお祈りしまして、新年の挨拶とさせていただきます。

本年もよろしくお願いいたします。

尼津彦拝