いよいよダンノダイラへ足を踏み入れます。
そもそもダンノダイラって何?って話ですが、太古の出雲集落があった場所といわれている場所なんですよ。
カタカナ表記なのが気になると思いますけど、漢字がないんでしょう。
日本には漢字伝来以前からあったものが数多くありますが、それらを漢字に当てはめてきたのは知られていることです。
しかし、そんな世間の流れから逸脱した文化があったとしたら、また、そんな文化との合流を嫌った文化があったとしたら。
そんな想像を掻き立てる場所。
それがダンノダイラ。
現在は植林された杉が立ち並びますが、元々は広場のような場所だったのかも知れません。
古代の姿とは違っているとはいえ、この杉林の中にいるのも最高に気持ちがよかったです。
魔空空間に引きずりこまれるような感覚ってわかりませんよね。
別に幻夢界でも不思議時空でもいいんですけど。
登り始めてから、誰とも会いませんでしたし、ここでも誰もいません。
一人でダンノダイラ独占です。
誰もいないので、見た感想をすべて大きな声で口に出してみたりしました。
ほんと薄暗くて、静かで、木洩れ日が気持ちいいんですよ。
小川の跡
元々集落だったのですから、当然水がいりますよね。
巻向山の頂上から人工的に引かれたのでしょうか。
そうそう、野見宿禰の話しましょうか。
ここダンノダイラの出雲集落が野見宿禰の出生地であるという伝承があります。
そのあたりを、ひとつずつ検証していきますね。
まず、野見宿禰ってどんな人かというと。
天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士。
垂仁天皇の命により角力をとるために出雲国より召喚され、當麻蹴速に勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現葛城市當麻)を与えられる。
以後垂仁天皇に仕え、土師臣の姓を与えられ、土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった。
第13代の出雲国造となり、晩年は播磨国の立野(現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬された。
まず、當麻蹴速の対戦相手として出雲から呼ばれた話ですけど、これにいう出雲が島根の出雲だとしたら不可能なんですよ。
来れないんです。
垂仁天皇の使者が野見宿禰を呼びに出雲に行くわけですけど、宿禰はその日のうちに大和に到着したといいます。
来れないんです。
出雲市役所から、垂仁天皇の宮があったとされる巻向の穴師あたりまで、現在の道路を使っても約370km。
車でも片道5時間ですよ。
ちなみに徒歩だと片道77時間ですよ。
全速力で走り続けたとしたら無理やり可能かも知れませんが、流石にそれはありえませんからね。
馬ならどうか、一般的な馬の時速は60km、これは最高速度に近いものだそうですが、これだと片道6時間。
馬をつぶしながら乗り換えれば可能かもしれませんけど、やはり無理がありますよ。
乗り換える地点に馬が都合よくいるわけないし。
しかも、これらみんな片道ですよ。
使者が行って、宿禰が来てなので往復なので、この倍時間がかかります。
そこでダンノダイラです。
出雲集落であり、野見宿禰の生まれた場所とされるここ大和出雲。
ここからなら、道が整備されていなくても、せいぜい片道3時間もあれば行き来できるでしょう。
なので、野見宿禰が住んでいたという出雲とは、大和出雲であると考えます。
他の部分は、明日以降の記事で検証していきますので、今日はここまでにしまして、ダンノダイラの話に戻ります。
このような磐が山頂に向かって続いていました。
天壇自体はもっと時代が下ってからの祭祀でしょうから、直接大和出雲につながるものではないと思います。
続いて、ダンノダイラの東側にある磐座に向かいます。
つづく。