伊射奈岐神社(佐井寺)の御朱印(吹田市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

御朱印の初穂料やお賽銭に小銭が必要なので、普段の買い物などはお札で支払うことが多く、いつも小銭入れがパンパンの尼津彦です。
 
皆様おはようございます。
 
吹田市にはここ佐井寺と山田西に伊射奈岐神社があります。
 
新しい拝殿

御祭神はもちろん伊射奈岐神ですが、この神様に限らず、書かれている書物によって表記が違うんですよね。
 
そりゃそうです。
 
漢字が伝来するよりも前からある名前ですから、漢字をあてた人によって違うのは当たり前のことです。
 
尼津彦ワールドでの表記は日本書紀に準じてますので(一部例外あり)、伊弉諾尊とします。
 
昨日の話で二神から月読が生まれたところまで書きましたが、そのあたりの考察を古事記の矛盾点を指摘しながら書いていきたいと思います。
 
天照大神、月読、素盞鳴の三貴子は伊弉諾と伊弉冉の子供というのが一般的認識ですが、古事記ではそうではないんですよ。
 
古事記によると黄泉の国で伊弉冉(伊邪那美)と決別した伊弉諾(伊邪那岐)が穢れを払うため、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐が原で禊祓をした時に生まれます。
 
なので、父親だけから生まれているんです。
 
伊弉冉とは血がつながっていないのに、母と認識されているんですよ。
 
そもそも根本的なこととして男性一人だけで子供を作ることはできません。
 
ではなぜそのようなことが起こるかというと、伝承を漢字で書き、その和製漢文ともいうべき古事記を江戸時代に本居宣長が誤訳まじりで世間に広めてしまったからなんです。
 
たとえば、ネットの翻訳サイトなんかで、日本語の文章を外国語に翻訳し、その外国語の文章をコピペしてまた日本語に翻訳すると、元の文章と違う意味になってしまうことがよくあります。
 
古事記は、当時の日本語→暗記→再構築→しゃべる→和製漢文で書きとめる→何度も手書きで複写→本来の漢文の概念で日本語翻訳。
 
これでは本来の意味とかなり違うものが出来上がりますね。
 
明日は写真が一枚だけですが、もうひとつの山田西の伊射奈岐神社の記事でもう少し伊弉諾さんのお話を。
 
つづく。
 

御朱印