『神社ぢからと寺ごころ』というこのブログのタイトルから日々掛け離れていってるような気がしてならない、『神社マニアと寺オタク』の尼津彦です。
皆様おはようございます。
松尾大社から数百メートル離れたところに境外摂社として月讀神社は鎮座します。
現在は松尾大社の摂社ですが、ここ月讀神社の創建は松尾大社より前だそうです。
壱岐からの勧請で神社名の通り月読尊を御祭神とします。
少し月読尊についてお話しますね。
月読は天照大神の弟で、日の神次ぐ存在として華々しく登場しますよね。
しかし、その後活躍することもなく姿を消してしまいます。
古事記では須佐之男(素盞鳴)の所業とされていますが、日本書紀では月読がやったこととして書かれていることがあります。
ある日、天照大神の使いで月読は保食神の元を訪れます。
保食神は月読をもてなそうと食事を作りますが、口やら鼻やら尻やらから作物を出して調理しました。
これを汚らわしいと月読は保食神を殺してしますんですね。
これを知った天照大神は月読の顔を見たくないと言い、それ以降名前すら出てきません。
まず、保食神とは農作物の栽培や生産に関する業務の責任者のことで、豊受大神や荷田は同一族です。
今で言うなら農林水産大臣みたいなもんでしょうか。
口やら尻やらから作物を出したとありますが、尼津彦解釈では糞尿を肥料として栽培した作物を出したと思いたいところです。
さて、記紀が沈黙するその後ですが、月読は四国に渡ります。
当時四国の大半を治めていた伊予津彦(別名、阿波津彦)の娘を妻にして、伊予津彦を継いだと思われます。
「国名+津+彦」って名称は多いですが、これも役職名です。
「津」は「の」、「彦」は長官と表現しておきます。
すなわち「伊予国の長官」です。
月読の子が気吹戸主、気吹戸主が市杵島姫を娶り儲けた子が伊予津彦、土佐津彦、宇佐津彦です。
すべて役職名ですが、成人してそれぞれの長になったものと思われます。
やっと気吹戸主につながりましたので今日はここまでとします。
まだ整理がついていない人たちなので今後意見が変わるかも知れませんが、新たな発見があったら報告します。
今はどうかわかりませんが書置きでした。