時間に余裕のない神社巡りの時は、地域の博物館とかはスルーするようにしてきました。
これはその時に何を優先するかっていう単純な選別なわけですけど、今回は博物館とかは重要、ある意味本筋なんですよ。
遠野は日本民俗学の発祥ともいうべき場所ですし、民俗信仰巡らずに何を巡るねんってことなんです。
おかげて遠野市立博物館に着いた頃には疲れ切ってましたよ。
でも達成感のある悪くない疲れなので、気力的にはノリノリです。
今回の出張も遠野物語関連だったこともあり、遠野物語読ましてもらいましたので原文を交えて紹介していきましょうかね。
遠野物語は柳田國男氏によって明治期に書かれた書物であり、日本民俗学というものを確立したものでのもあります。
遠野物語の原文は著作権が切れてて掲載OKってこともあり、せっかくなので遠野物語の美しい文章に乗せまして、展示の紹介をしていきたいと思います。(遠野物語原文の箇所は太字の斜文字で)
いわんやわが九百年前の先輩『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり
と、序文にありますように、柳田國男氏が当時聞いた『その時の』話なんですよ。
今昔物語とかって、『昔こんなことがあったと伝えられます』って感じで昔話を書いてるんですが、遠野物語に書かれている口伝は、実名出てきますし、その人が今はどこに住んでるとかって、生々しいんですよ。
当時のリアルな遠野郷の様子が怖いくらい伝わってきます。
博物館前の鹿踊りの像

遠野市立博物館は一般料金310円という嬉しい入場料です。

ここの展示をそのまま東京とかで特別展としてやるとしたら、2000円ぐらいし取れますよ。
それほど充実してました。

シアター以外は写真OK(フラッシュはダメ)ってことなので、興味のあるところを中心に紹介していきますね。
馬

遠野の暮らしと馬とはかなり密接な関係にあります。
絵馬

際どいの無いかと見たけどそこまでのは無かったな。
元々は生きた馬を神に奉納していたものが、木製の馬形(駒形)になり、やがて板に馬を描いた「絵馬」へと変化した歴史が紹介されています。
岩手県には駒形神社が多いのも、これに一部関係することだと思います。
馬頭観音の石碑と藁馬

この地での馬頭観世音は、馬の守護仏として信仰されており、かつて農耕や運搬で家族同然に暮らしていた馬の無病息災を祈ったり、死んだ馬を供養したりするために、路傍や寺社の境内に建てられたようです。
藁馬は、馬つなぎの藁馬と呼ばれるもので、遠野では、馬の節句(端午の節句)などの際に、藁で作った馬を神様に供える風習があるそうです。
田植えの無事を祈ったり、馬の守り神でもあるオシラサマが馬に乗ってやってくると考えられていたりと、馬への感謝と祈りが込められています。
道ちがえの叢の中には雨風祭の藁人形あり。あたかもくたびれたる人のごとく仰臥してありたり。

思わず目を奪われたこの藁人形。
展示では春風祭り人形と紹介されてました。
春風祭りは、2月に各家でワラ人形を作り、門口や辻に立てて1年間の無病息災を願う行事です。
刀を腰に差し、背中には『春風疫病除祭』『豊年満作』などと書いた旗を差す。
刀か。
男根かと思ったわ。
この日は家で団子を作り家族がそれで身体を拭いて藁人形にくくりつけます。
団子で身体を拭い人形にくくり付ける事で、身体の悪いものが人形に取り込まれ、人形自体も魔除けの力を持つと考えられていました。
遠野七観音

遠野郷には八ヶ所の観音堂あり。一木をもって作りしなり。この日報賽の徒多く岡の上に灯火見え伏鉦の音聞えたり。
九世紀の中頃、慈覚大師が一本の木から七体の観音像を刻んで遠野の七ヵ所に安置して祀ったことが始まりであると伝えられています。
ひとつ観音堂増えてますね。
ここの博物館で一番のお目当てはここですよ。

オシラサマ

オシラサマという神の由来については、先の記事で詳しく語りますので、ここではこの御神体について。
桑などの木で作られた棒の先に、人や馬の顔が彫られています。
その棒に、オセンダクと呼ばれる何枚もの布を重ねて着せているのが最大の特徴です。
オセンダクは、祈願のたびに新しい布を重ねて着せていくため、古いものほど体が太く、どっしりとした姿になります。
農業の神、養蚕の神、あるいは家を守る神として、かつては各家庭の神棚や奥の間に祀られていました。
オシラサマにはいくつかのタイプがあり、これらは頭部を覆った包頭形という形状です。
首元に鈴がついているのは、祭礼(オシラ遊び)の際に、イタコや家の者がこれを持って揺らしながら神歌を唱えるためのものです。
オシラサマとオシメサマ

見た目は同じようですが、オシラサマの中にオシメサマが混じっています。
オシメサマとは、遠野の一部地域や家々では、オシラサマのことを親しみを込めて、あるいは方言的にオシメサマと呼ぶことがあるんだそうです。
おしめ(お印・標)が語源という説や、布を幾重にも着せる様子からそう呼ばれることもあるようです。
遠野物語でも、◯◯さんの家ではっていう話がいくつか出てきますので、その一族での呼び方が残ってきたと考えてよさそうです。
首の長いオシラサマ

首が長いのは、オセンダクを幾重にも重ねていけるようにするためです。
着せられてるオセンダクがまだ少ない状態だから長くみえるんですよ。
いろんなバリエーションがありますが、オシラサマは通常、馬と娘が対になっているのが基本です。
木箱に入っているのは、家の中で大切に保管されていた家神(うちがみ)としての本来の姿を反映しているようです。
頭巾を被ったオシラサマ

オセンダクを頭の上まで深く被せ、首元を紐で縛っています。
まるで防寒着を着て顔だけ出しているような、あるいは修行僧のような、非常に独特な佇まいです。
首元の紐に大きな鈴が結び付けられていますが、これはオシラサマを揺らして祈祷する際に、この鈴の音が、神様が降りてきた合図やお告げとして重要な役割を果たしているのだそうです。
呼び名だけでなく、形状や誂えも家ごとに変化していった特徴があるんだと思います。
マイリノホトケ(参りの仏)

向かって左から、日月や鶏、青面金剛と思われますので、庚申待やその信仰を表すものだと思います。
次が放光阿弥陀如来。
そして十王図、一番右が六字名号だと思います。
遠野地方を含む岩手県内では、命日や法要の際に、寺院ではなく自宅の仏間にこうした掛け軸を掲げて、親族や近所の人々が集まって供養する独特の風習があるそうです。
いろんなもの

ゴンゲンサマ、牛頭天皇像、狐、山神像、神鏡、十一面観音像です。
上段をよく見てなかったのですか、右上のやつは、男神と女神だったようです。
これを見てますと、仏教の仏や神道の神だけでなく、山の神や家独自の神様たちが、遠野の人々の暮らしの中で分け隔てなく大切にされてきたことがよくわかります。
ゴンゲンサマ

ゴンゲンサマは権現様なのですが、遠野物語では、ゴンゲサマと表記されてます。
ゴンゲサマといふは、神楽舞ひの組ごとに一つづつ備はれる木彫の像にして、獅子頭とよく似て少しく異なれり。
はなはだ御利生のあるものなり。
中略
ゴンゲサマの霊験はことに火伏せにあり。右の八幡の神楽組かつて附馬牛村に行きて日暮れ宿を取りかねしに、ある貧しき者の家にて快くこれを泊めて、五升桝を伏せてその上にゴンゲサマを据ゑ置き、人々は臥したりしに、夜中にがつがつと物を嚙む音のするに驚きて起きて見れば、軒端に火の燃え付きてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上がり飛び上がりして火を喰ひ消してありしなりと。子供の頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を齧みてもらふことあり。
始めて権現様見た時は獅子頭やんって思ってたんですけど、たぶんもう権現様と獅子頭の区別がつくようになってると思います。
そしてこの中央の黒いニ体は田の神たったようです。

東北地方では、春になると山の神が里に下りてきて田の神となり、秋に収穫が終わると再び山へ帰っていくという信仰があります。
右側の斧を持った像、実際に見た時には目を留めてなかったのが残念ですが、大黒天だそうで、遠野を含む東北の山間部では、山仕事の安全を願って打出の小槌ではなく斧を持つ姿で描かれたり、祀られたりすることがあるそうです。
左側の彩色された山神像は、遠野市宮守町の正一位稲荷神社に祀られていたものだそうです。
こうして見比べると、同じ神様でも、煌びやかな仏教美術とは一線を画す、民衆の暮らしに根ざした土着の力強さが伝わってきます。
遠野の神様たちは、どれもどこか人間味があって、当時の人々の生活の匂いまで感じられそうです。
この写真のどこかにオコナイサマがいます。

見ただけじゃ区別つかんよね。
オコナイサマとオクナイサマは同じものであるとか、違うものであるとかほんとよくわからないのですよ。
オシラサマとも同じような扱いですし、元々は違う信仰が家で祀ることになったことで家々の形に変化していったのではないかと思うのです。
オコナイは修正会を端とする民間行事のようですが、オクナイは屋内を指すのではないかと思います。
オクナイサマを祀る家多し。其像はオシラサマと同じく、一尺ばかりの木の棒の頭に、女又は馬の首を彫りたるなり。是に種々の色の布を幾枚となく着せたり。一名を座敷童衆ともいふなり。
もうオシラサマとも見た目ではわからんということです。
興味深い一文が最後にありますが、ここで考察するよりも、この先の相応しい場所の記事で書くことにします。
これらもオシラサマです。

こちらのはオセンダクを綺麗に重ねて着せて十二単のようになってました。
布団のようにオセンダクが積み重ねられたこれもオシラサマのようです。

こちらのは座布団みたいに見えます。

博物館ですから、多種多様いろんなオシラサマを展示しているということです。
オシラサマの顔

ちなみにこのオシラサマコーナーはガラス越しの写真なのですが、照明がよく考えられてるんでしょうね。
写真のストレスが全く無く、むしろ反射させるほうが難しいくらいでした。
雨風祭のカカシ

ほらやっぱり刀じゃなくて男根やん。
ちょっと安心した。
いろんな石碑

南無阿弥陀仏、庚申、金比羅大権現、湯殿山などと彫られています。
鹿踊りの装束

鹿と書いて『しし』と読みます。
東北地方に多くある鹿踊りですが、遠野の鹿踊りならではの特徴があるそうです。
頭部は、鋭い眼光と力強い角が特徴です。額の部分には、鹿の意匠をあしらった前立てが配置されており、非常に精巧な作りをしています。

頭から長く垂れ下がっている白いたてがみのようなものは、木を薄く削り出したカンナガラ(カンナ屑)です。
カンナガラは、神のまにまにという意味の惟神(かんながら)と同音なのですが、たまたまなのか。
神と紙のように、日本語の音って信仰に基づいた意味があるように思えてなりません。
遠野郷の獅子踊りに古くより用ゐたる歌の曲あり。村によりて少しづつの相異あれど、自分の聞きたるは次のごとし。百年あまり以前の筆写なり。
歌詞は書きませんけど、橋ほめ、 門ほめ、馬屋ほめ、桝形ほめ、町ほめ、といった町や家を褒め称える歌のようなので、五穀豊穣を祝う(願う)、しいては人々の生活の安泰や幸せを祈る踊りなんだと思います。
この背中から突き出た二本の角のようなものは『ササラ』と呼ばれるものだそうです。

ササラは、長い竹の棒に大量の幣束を段々に重ねて貼り付けたものだそうです。
ササラの最上部にピンと突き出しているのはヤマドリの尾羽です。
鹿踊りの踊り手は、単に鹿の真似をして踊るのではなく、このササラを背負うことで神が宿った鹿になります。
先端のヤマドリの尾羽は、天から神様が降りてくるための依代となるようです。
民家でオシラサマを祀ってる様子

今回行けなかったのですが、遠野には実際に祀られてる様子を見学時間できる旧家があるようです。
神棚

神棚(神道)と民間信仰が混然一体となった伝統的な祀り方です。
手前に垂れ下がっている白い紙は、オカザリやキリコと呼ばれる切り紙で、この地域では当たり前の祭り方のようです。
大黒や恵比寿、、あるいは波や太陽など、家内安全や大漁豊作を祈願する意匠が施されています。
神棚の中央や左右に、木彫りや陶器の小さな像がずらりと並んでいます。
大黒、恵比寿、仏教的な像も見えます。
さらにオクナイサマやオシラサマも共に祀られることが多いそうです。
明治時代の神仏分離以前から続く、神も仏も、家の守り神として一緒に祀る信仰です。
不動明王

神楽面

山伏神楽で使われていたものです。
山伏神楽とは、修験道の修行者が、祈祷や娯楽として村々を回りながら舞った神事で、岩手県内では早池峰神楽などが有名です。
役小角行者像

雛人形のコーナーがありました。

享保雛だそうです。

女雛の頭の飾りが豪華です。
市松人形

山の神像

これしばらく見とれてましたわ。
オタイシサマ

オシラサマと同様に家の神や養蚕の神としての性格を強く持っています。
祭日にオシラサマと一緒に祀り、親戚や近所の人たちが集まり、精進料理を食べる。
集まった女の人たちで、その日の朝からオシラサマに着せる着物を縫う。
着物は赤い色と決めており、毎年一枚着せることになっており、着物の衿には赤い糸で刺繍が施されている。

弘法大師か聖徳太子かの信仰が習合したのだと思いますが、すべてがオシラサマに集結しているように思えてきます。
ここ遠野市立博物館に来なけれ、遠野に来た意味がないくらいの見応えでした。
他にも行くべきところがあるのですが、この日かなり前倒しできましたので、気持ちの余裕を持って残りは翌日に回せました。
そろそろ仕事の現場入りしないとなと時計を見ると、余裕を持った安全策の当初の予定より一時間巻いてましたので、早めの現場入りできましたよ。
遠野に着いてから3時間でこれだけ回ったのなら上出来じゃね?
オシラサマについては、翌日もっと強烈なものを見ることになります。