灘五郷に名を連ねる蔵元のすべてが見学できるわけではありません。
なので灘五郷の案内ページで見学可能な施設なのか確認するわけですが、資料館のようにわかりやすいものと、そうでないものがあります。
施設見学と謳っていても、実際には販売スペースに立ち入れるだけという場合もあります。
こちら安福又四郎商店も後者のようです。

大黒正宗が看板商品ですが、他の蔵元でも正宗の冠が多いですよね。
ブランデーでいうところの、VSOPとかナポレオンとかのようなランクを表す名称なのか、はたまた暖簾分けや技術提供なんかによる本家を立てる意味合いなのかわかりませんけど、ライバルでありながら蔵元同士の関係は良好だったように思えます。
良く似た名称といえば『白』がつく酒蔵も多いですが、それはそれを書くべき酒蔵の時に書くことにします。
まだ開店時間ではなかったのですが、求めるものが無さそうなので、あえて開店を待つことはしませんでした。
記事にしようか迷いましたが、杉玉あったのでギリギリ載せることにしました。

写真はこれだけですので、とっとと尼津彦ワールドいきます。
八塩折酒の続きです。
15度の酒で八岐の大蛇が酔いつぶれて眠るのかって話ですが、当時飲まれていた一般的な酒がどのようなものであったのか推測してみましょう。
大山祇や木花咲耶姫が作った酒は天甜酒といって一夜で作る口噛み酒であったと言われています。
要するに甘酒のようなものだったのでないかと考えられています。
そういうのを酒として普段飲んでいたら、15度の酒だと一撃コロリだったことと思います。
そして何度も酒を仕込むとなると、かなりの年月がかかるはずですよね。
しかも大きな瓶八つもやし。
櫛稲田姫が生贄と決まってから素盞鳴が八塩折酒を用意させますが、間に合うの?って話をまた明日に。