ナム・ダルム、除隊後初ドラマ復帰作品

 

KBS2TVドラマスペシャル2024

「사관은 논한다 史官は論じる」

英題:The History of Us

2024/11/5 1部作

公式サイト

 

 

지키려는 자와 지우려는자, 

守ろうとする者と消そうとする者、

그 흔들리는 역사 속에서
その揺れる歴史の中で

 

朝鮮王朝実録と承政院日記、

*承政院日記とは

李氏朝鮮及び大韓帝国の承政院で王命出納、

行政事務等を毎日記録した日記

日省録、備辺司謄録、議政府謄錄。

*日省録とは

1760年から1910年までの国政運営の内容を、

李氏朝鮮の国王の日記の形式を採用してまとめた文書

備辺司謄録とは

朝鮮封建王朝中・後半期、

封建国家の最高中央官庁として運営された備辺司の官庁日誌

「備辺司謄録」には、

封建政府で討議・処決され対策された、

政治、経済、軍事、外交などの主要な政事関連史料が、

集約的に、豊富に収録されているだけでなく、

他の文献では見られない貴重な史料も少なくなく、

成文化された記事を毎日収録したものであることから、

記事内容に編纂者の主観的意図が

全く反映されていない原史料のそのものである

*議政府謄錄とは

朝鮮時代の行政機関である議政府で、

仁祖24年の1646年から哲宗10年の1859年まで

記録した行政業務記録物。 

途中で消失した部分を除き、計135年分の記録がある


量と質の両面で世界のどの国よりも優れている

韓国の記録文化遺産を見ると、

随所にそれぞれの信念を賭けて

闘争した対話がぎっしり詰まっている。
善悪の鋭角的な葛藤の中で

常に最高の結果が導き出されたわけではないが、

少なくともこれだけは確かだ。

私たちは歴史を恐れ、論理としてお互いを牽制し、

剣よりも言葉で争いを隠そうとしたことだ。
今、その偉大な「記録」をめぐって、

信念を尽くして戦った二人の話をしようと思う。

誰が正しかったかについての判断は

依然として異なるかもしれない。
しかし、信念を賭けて

激しく善悪を争った彼らのその過程だけは

正しかったことを、伝えたい。

 

 

KBS 한국방송 様 感謝

 

 

본 드라마는 역사적 사실을 기반으로 한 상상력에 기초하고 있습니다.

 대부분의 세부사항 및 등장인물의 심리 묘사는 픽션입니다

本ドラマは、歴史的事実に基づいた想像力に基づくものです。

ほとんどの詳細や登場人物の心理描写はフィクションです。

という文から始まる。


新緑の青々とした草原で二人の子供が遊んでいる。

二人が絡み合い、一人の子供の唇に血が流れる。

幼い王世子と彼の遊び相手(陪童ペドン)である。

15年の歳月が経ち、世子は今や王の補佐に就くことになり、

一緒に遊んでいた陪童は芸文館イェムングァンの史官となり、

朝廷代官の会議で王と全ての臣下が

国事を論議するのを欠かさず書き写している。

史官の任務はただ一つ、

実録に使われる日々の国政のありとあらゆることを

淡々と記録することである。



ところが、ある日、東宮(世孫/ナム・ダルム)が書庫に現れ、

「壬午年の記録」を探せという。

 

 

壬午年の記録とは、芸文館や承政院、さらには宮中で

最もタブー視されている事柄でまさにそのことではないか。

 第一、壬午年のことを知らせないこと。 

第二、壬午年のことを知っていても、

それについて絶対に論じないこと。

 

 

シン注書(ユン・ナム)はナム・ヨガン(タン・ジュンサン)に

「一度記録された過去は、それを開くたびに蘇る。

しかし、私たちはただ記録し、守る者であって、

蘇らせるのは私たちの役目ではない」と言う。

シン注書も世子に呼ばれ東宮を訪れた後、

何事が起きたのか大梁に首を吊って自決する。

1762年(英祖38年)に起きた壬午の変(壬午禍變)である。

英祖が世子を廃位させ、

米櫃こめびつに閉じ込めて殺害した事件。

 つまり、思悼世子の死だ。

 

映画「王の運命さだめ - 歴史を変えた八日間 -」より

우리 - uli  様 感謝

 

東宮の世子は正祖だったのである。
英祖(チョ・ハンチョル)の病が悪化し、

世子が王位に就く準備をしながら深い苦悩に陥る。

 

 

「私の父(思悼世子)のことで争って

どれだけの人が死んだことか。

 私が王位に就けば、また血の風が吹くだろう。

私は過去にとらわれた消耗的な仕事を終え、

新しい朝鮮を開きたいだけだ」

そこで彼が考えたのは、史草をすべて調べ、

「壬午年の記録」をすべて消してしまうことだった。

世子の深い意志、蕩平策の苦渋の策に、

*蕩平策とは

英祖 が党争をなくすため,

党派間の政治勢力の均衡をはかった政策

芸文館の一介の史官が翻弄されたのである。

 

 

「思悼世子が亡くなったのは陛下のせいではありません。

 壬午年に書かれたことは陛下のせいではありません。

 それもまた歴史です。血の汗で記録したものは、

陛下のものでも、私たちのものでもありません」

と涙ながらに訴える。

何度も何度も…

 

 

しかし、「新しい朝鮮」を開こうと決心した王は、

史官の記録を洗草セチョしていた

洗剣亭セガムジョンの遮日巖チャイルアム

ヨガンを斬ってしまう。

 

 

このシーンは切なかったTT

己の意志を貫くため 辛い選択を選んだ正祖

どんぞ皆ちゃまが見る機会あった時に

ヨガン(タン・ジュンサン)最後の

論じる姿確認してちょんまげ!

 

*ここでいう洗草セチョとは

洗草セチョは「草を洗う」となるが、読んで字の如くだ。

1616年(光海君8)に

宣祖ソンジョン実録を編纂した後にはじめられた。

朝鮮王朝実録を編纂するために、

史官サグァンは日々王の言動を記録している。

これを史草サチョという。

また、編纂過程で

初草チョチョ・中草チュンチョ・正草チョンチョ

といった草稿が作られる。

その後最終的に活字印刷されるのだが、

その後には全ての草稿を水で洗い墨を流した。

このことを洗草セチョというのだ。

 

洗草セチョの目的は2つ。

1つには当時貴重品だった紙のリサイクルという物理的理由だ。

もう1つは草稿を残しておくことが禍根にならないように、

正史以外を抹消したためだ。もし、草稿が残ったままだと

謀反や権力闘争に利用されかねないからだ。

前者の主旨よりは、

後者の重要な国家機密の廃棄がより重要だった。

洗草セチョは彰義門チャンウィムンの外にある造紙署チョジソ近くの

洗剣亭セゴムジョンの小川で行われていた。

続いて、近くの遮日巌チャイラムで洗草宴セチョヨンという宴が開かれた。

これは実録編纂に携わった官吏達へのねぎらいのためだった。

こちらの記事より引用

 

Digital Lover 様 感謝

 

イ・サンについては

いろんなドラマで解されていますが

これまた違った角度から描かれておりまする

字幕付きで見たのではないので

完璧なことは書き書きできんがわかる範囲で…

ほんにいいもん見せてもらったわ~

ナム・ダルムたん 大人になったぞぉ!

タン・ジュンサンたん イイ役者になったやん!

1時間ちょいの単発ドラマですが

かなり見ごたえのあるストーリーでしたよ

これどっかのサブスク配信してくれぇ!

マジでっせ!!(大声)

 

 

ではまた