勤王家で教育者であった尾崎星山
の、企画展が暁雨館で行われていた
道すがら気になっていた墓碑や
天満神社とその石碑を確認できた

維新を目指して奮闘し
できた新政府に失望し
野に下った西郷隆盛のように
蜂起はしてませんが…

明治7年から21年まで
私塾「松菊舎」を開設、6年制
授業料は取らず、無償で開放した
漢学を柱に中国史を学ぶ

当時、寺子屋が多く設けられ
日本人の教育熱、その素養に
目を奪われる
底辺⁉️の底力の強さを誇りたい
別件だが、兵隊の素養は
日本の自衛官が世界一と賞される

長州の都落ち、蛤御門の変の後
勤王公卿を匿ったように
星山も兵庫での「生野の変」の折
郷里で公家を匿う
星山、当時、37歳

明治2年には初代外務卿に就任す

改名が多く、あまたの号を持つが
「山人」やまんど、という号が
面白かった

天満神社、ここの地名は北野
京都の北野天満宮を思わせる
この近在にも、天満宮は多い

沿道の鳥居の文字は星山が書いた物


右の柱には「日月光星座輝」
日月あきらかに星座かがやき
左の柱には「陰陽和風雨時」
陰陽やわらぎ風雨ほどよし
書も独自の研学の跡が見える
独特すぎて読めないのだが
何やら雰囲気は厳かに伝わる

松菊舎の敷地のある住居を
「放言亭」と名付ける
言いたい放題という意味ではなく
言を慎む❗という意味だと
学芸員のお姉さんに教えられた

知ると、見慣れた風景が
また違ったものに見える🍀
 続く