おはようございます🎵

ここ数日

朝目覚めると雪国⛄3月なのにね~😅

朝ご飯食べる頃には消えてなくなる

はかない感じに情緒を感じてます❄


さて本日は余目ホテルの成り立ちについて

少しお話させて頂きます

ご覧の通り

純和風の昔ながらの旅館でして

お部屋の中にはバス・トイレはありません。


トイレは館内にあちこちありますし🚻

女性専用トイレもございます🚺が

お風呂は男女別には分かれておらず

家族風呂のようなカタチで

カギをかけてゆっくりお使い頂いてます。
(順番待ちもありますがお客様達のご配慮により
 モメることなく回っています)


お部屋は

紙と木でできたお部屋で

布団を敷いておやすみ頂きます
(部屋のカギは内からも外からもかかります)

大正はじめに国鉄が引かれた時に

余目ホテル本店が

駅前に支店として旅館を建てることにし

姉が本店を妹の祖母が支店を継ぎ

営業がはじまりました~


本店は町の中心部分

今の役場の通りがメインストリートだった頃

江戸時代から余目の入り口付近

酒田街道沿いで

ほていやという名で笑売してたらしい。

その後今のハナブサ醤油さんの向かいに

土地が空いたということで

余目ホテルと改名し料理屋をはじめたそうな。


当時はそのメインストリートにくれば

葬式や結婚式(全部家でやってたからね)

盆と正月の準備がすべて整うほどに

多くの商店が立ち並び

とにかくニギワッタらしい。


ソコに来た方を

もてなす料理屋をしてたということで

芸者さんや酌婦をはべらせドンチャン🍶

してた写真もあったしね。

時代は北前船〜酒田舞子の全盛期✌️

当時は大正浪漫もあり

カタカナ文字に文明開化みたいな流れで

ハイカラさんの先祖がホテルって

名付けたのでしょうけども。


この頃 銀行は両替商

旅館は旅籠屋と言った時代でしたから

時代錯誤というか 

当時を知らない方には説明しないと誤解され

支店は銀行みたいだとか

旅館なのにホテルの名はおかしいとか

口の悪い方々から理不尽にいろいろ言われて

若い頃 凹みましたねぇ〜😓


実は昨日 

夕方3人で泊まりたいと予約が入り

3部屋で良いですか?

と尋ねるとトリプルかツインで!!

とのこと。

今のホテル形式しかご存知ないようで

ジャパニーズスタイルの旅館なのだとお話しても

人生でそんなものがある事自体

知らなかったご様子。


お部屋で料金が違うのでなく

泊まる人数やお布団の数で

料金が変わるんだと話すものの

ご理解が難しいようで

僕は歓迎されてないようなのでもういいですと

電話を切られたんですよね📞


隣でやりとりを聞いてた母が

何をモメてるのかと思ったようでしたが

今の時代 

ジャパニーズスタイルの旅館の存在を知らない

人達が多くなったということなのかとも感じ

こういうタイプの旅館が

古くには多くあったということを

ご説明したくて記事にしたのです。


それと余目ホテルの検索ワードを調べると

ラブホテルというのが結構多いんですよね~⤴️

今まさに彼女を口説き

情事におよぼうとしてる若者が

おばちゃんに長々説明されても

めんどくさいな~って思ったのか😁
(3人がナゾ(・・?)


ということで

ラフ”ホテルと勘違いされるよりは

純和風の旅館だとスグにわかるような

ネーミングに直す方が良いのか

これまた悩ましいことですよねぇ~⤴️


ちっちゃな旅館って

眼の前でイレギュラーなことが次々起こるので

処理能力というか判断力というか

スキルが求められるんですよ!

ほんとにいろんなこと

なんでも出来なくちゃいけない😜

サーフィンじゃないですけども

いい波が来たらソク飛び乗るみたいな🌊


若かりし頃はなんて理不尽な家業なのかと

逃げだしたくなる衝動を抑えるのが

大変でしたけども

この年になると鍛えてもらったお陰で

何にも知らない箱入り小娘が

図太くたくましいおばさんに成長したな。と(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)


最近なんですよ!

この生業が楽しくなったのは(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)

自分にしかできないことを

次々に見つけて即実行って

人様に使われてたら出来ないですもんね。

いい時代になったもんですな(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧