こんにちは。あらかぶです。

 今日は、ちょっと視点を変えて「日干し煉瓦が出来たわけ」を簡単にお話しますね。


 日干し煉瓦はどのあたりの地域で出来たか皆さんは学んでいますよね。

 使われていたのは、メソポタミアやエジプトです。かつて文明があった地域ですね。


 ではなぜ、日干し煉瓦を作ったのでしょうか。

 その理由をある書物のなかから紹介したいと思います。


 そのある書物とは・・・


 そう。『旧約聖書』という書物です。


 『旧約聖書』は、「ユダヤ教」という宗教の経典で、キリスト教でも「聖典」として扱っています。まあ、ここでは「聖典」というのは「最も大切な本のなかの一つ」と考えておけばいいです。


 その中に、有名な「バベルの塔」という話があります。ブリューゲルという人が描いた絵なんかが有名ですね。また、私が子供のころに観たアニメ「バビル2世」なんかのモチーフにもなっています。


 そのお話のなかに、次のような一節があります。


「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。」


つまり、東のほうから来た人々が「石」のかわりに用いたものなんですね。


そこで、旧約聖書が出来たメソポタミア地方の東といえば、イランのあたりが考えられます。ここは、大きな石で家を建てている家が多いのですね。特に昔の人々は、山のなかの岩を削って家を造ったりしています。


その人たちが移り住んだとしたら・・・


メソポタミアやエジプトは大きな河の下流域ですから、イランの山のような大きな石はありません。水が豊富なので、たくさんの作物がなるのはわかっていますが、住宅に出来る大きな岩なんてないんですね。


そうした中で「岩」の代わりに考えられていったのが・・・「レンガ」というものだったようです。


で、この話から一言。


人は、ないものへの飢えが原動力になって、新しいものを作り上げていくのですね。

教育も、その子自身が本当に「飢え」を感じる時まで待つことが大切なのかなと思います。

なかなか、じっと待つことは出来ないものですが・・・。与えることが多すぎるところの生徒は、最後に伸びなくなってしまうような気がしている今日この頃です。どうしたら「飢え」を持つようになるか・・・。そこが大切なんだろうなと思います。