最近家事が以前ほど嫌じゃなくなったと

少し前のブログに書きました

 

 

週2,3回のペースで作る夕飯のメニューは

基本的には自分が食べたいものを作り

レシピ見るのは面倒な方なので自己流で味付け

 

おお、これはクリエイティブじゃないか!

面白いぞ!

 

で、だんなさんには

 

「てきとうに作ってみたよ」

 

なんて言えちゃう自分に酔う、みたいな(笑)

 

 

ところが最近自粛でますます

毎日夕飯を作るようになってきて

 

そうすると献立も尽きてきました

 

 

献立を毎日考えるのが面倒になってきて

だんなさんに決めてもらいたくなりました

 

ただ「今日何食べたい?」と聞いて

 

自分が食べたくないメニューや

何でもいいと言われると

 

腹が立ったりします!

 

つまり

だんなさんにメニューを決めて欲しいというのは

この場合思いやりから言ってるわけではないということ

 

 

料理が面倒になってきた時点で

自分の責任を受け入れていないのです

 

これは料理を作るという意味の責任じゃなく

(ここが間違いやすい)

自分を愛するという責任のことです

 

そして負うべき責任を誰か(だんなさん)に負わせるから

そりゃあ満足なんてしないでしょうね

 

だんなさんもいい迷惑だよこりゃ

 

 

a.料理が楽しかった時のわたし

 

→自分で作りたいものや料理の過程を創造している

 (自分を愛している)

→満足

→だんなさんも満足

 

b.料理が楽しくなくなったわたし

 

→他者に決めてもらいたがる

 (自分を愛していない)

→不満が残る

→だんなさんに気を使わせる

 

 

私の解決策としては

 

「○○食べたいな~」と思ったら

ホントに作るのが苦じゃないので作ります

料理楽しいよ!

 

「面倒だな~」と思ったら

てんや物で済ませたりします

 

作らない自分に罪悪感がないとき

それはすぐ仲直りできるケンカか笑い話にしかなりません

 

 

・・自分の気持ちばかり優先していて

なんかすごく自己中心的ですかね

 

「面倒だな~」と思っても

それを上回る思いやりがあれば全然作りますのよ

 

でも思いやりだって自分の気持ちだしなぁ

 

 

自己中心的という言葉は

ネガティブに使われやすいけど

「自分の中心にいる」ではありたいのです

 

いつでもなるべく

自分への愛と喜びと安らぎを動力源にすること

 

 

そういう意味ではもっと自己中でありたい(笑)

 

 

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料理の写真がなかったのでボトルをお楽しみください

B109大天使ザカリエル

 

 

毎日献立を考えてくれていたお母さん

心からありがとうございます