雨に塗れる飛び石と苔むした裏庭の風景。

雨の土曜日の午後を、こういう風景の中で過ごす。

日本人に生まれてよかったなあ…としみじみ感じたりする。


自分が何者なのか、時々自分のアイデンティティを見失いそうになる。

自分のアイデンティティを見失うことの危機を感じるということは、逆に言えばそれだけ、自分は何者かでありたいという囚われに縛られているからかもしれない。


人として、人に向き合うとき、自分が何者であるかを人にも自分にも知らしめることで、互いに安心したりする。

普段、いかにそういうことによって自分を規範していることか。


それは時に優越感であり。時に劣等感であり。


そういうものが一切ないところで、自分が何者かであるという役割を捨て去ったところで、ただ一人の存在として

こういう風景の中に身を置いてみたときに、カラダの深いところから湧いてくるメッセージに身を任せてみる。


頭で考えようとせず、カラダが発してくるメッセージをそのままカラダで受け止めて、それ自体を味わってみる。


すると自分が太古から綿々と受け繋がれてきた

 やまとのくにのひと 

であることが分かる。



ときには

それだけで十分だと思えるような一日を過ごしてみるとよい。


かつて、みなそうであったように。