映画を観に行くんだよと話していると、
「え?ひとりで?」
と、軽く驚かれることがある。
「映画って、だれかといっしょに行きませんか?」と。
たしかに、(私の中において)映画館で映画を観るというのは、以前はデートコースのひとつだった。
女友達と映画を観に行った記憶というのは、小学校以来、ない。
二十代前半の頃、映画館まで歩いて行ける距離のところに住むようになったのがおそらく転機で、
時間つぶしに映画を観る、という選択肢が私の中に出来たように思う。
いつのまにか“時間つぶしに”ではなく、“映画を観るために”時間の都合をつけるようになったけれども。
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長崎市内には、長崎セントラル劇場
という小さな映画館が浜ノ町アーケードに隣接した場所にある。
シネコンのようなゆったりとしたシートではなく、長時間座っていると確実におしりが痛くなってしまうのだが、私はこの映画館が大好き。
タッチパネルの画面やインターネット予約ではなく、窓口でマダム(と、心の中で勝手に呼んでいる)とひとことふたこと交わしながらチケットを買うのもいい。
地方のさらに地方のシネコンでは上映されない作品が、ここでは観られるのだ。
先週末に観たのは、
「フルートベール駅で」 と、 「ダブリンの時計職人」 。
どちらも90分くらいの上映時間で入れ替え制だったから、2本続けて観られた。
その日を逃すと月末月初の忙しさでしばらく身動きが取れなくなりそうだったところに、
うまーいこと上映時間がマッチして。
「フルートベール駅で」
人間はいつか自分が死ぬと知っている。
だけど、(自分で選ばないのに)今日死ぬとは思っていない。
あたりまえのいち日になるはずだったオスカーの残り少ない時間を見ていると、
どうにかして回避できないものかと思ってしまった。
オスカーに家族があり恋人があり娘があり友人がいてそれまでの人生があったように、
彼を撃った警官にもきっと家族があり友人があり同僚がいて、歩んできた背景があることを想像すると、
ただの怒りや悲しみだけではなくもっと深く絡んだ複雑な気持ちがわいてくる。
「ダブリンの時計職人」
アイルランドという国のことを私はほとんど知らない。
日本人が日本映画を観るときに自然と共感するように、これをアイルランド人が鑑賞すると
さらに感情が入っていくのかなと思いながら見ていた。
国が抱える重さを描けるというのはある意味国として健全なのかな。
どうなんだろう。
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【追記】
こんな記事を見つけました。 → ☆
