アマノジャックな世界 -8ページ目

アマノジャックな世界

天邪鬼な世の中をとびきり最高に楽しみましょう。

今日吉田拓郎を久しぶりにテレビで見た。



高橋真理子との対談で。



拓郎さんって癌の発覚以来しばらくテレビに出てなかったのか?



まあテレビはあまり見ないからわからないが、久しぶりに見た気がした。



我々はいわゆる拓郎をカリスマ視する世代ではないが、「イメージの唄」等に漂うあの独特な世界観には、多感な学生時には、正直心奪われる。



僕もそんなきっかけから彼の唄を聞く機会を得るが、「大阪行きは何番ホーム」とかの男の心情は今になって新鮮に感じることがある。



そのように今でも時々聞くと、自分の年代に合わせて彼の歌詞の深さを感じることが出来る。



そして今、そんな彼が少し小さく見えた。



それはやはり病気の影響なのか?



人間は当然いつかは死ぬ。



桑田圭祐しかり、もう亡くなってしまった忌野もしかり癌である。



誰もが次は吉田拓郎だと思っているかもしれない。



確かに順番だ。その順番は神がもう決めているのか、これからの行いで決まるのか誰もわからない。



だから思うことは、生きている間にしっかり彼を見とくことである。



世代の人によってはメディアにさらされる彼自体を許さない人もいるだろうが、僕はそんな機会がないと生の彼を感じることが出来ないので、大いに活躍して欲しい。



そしてまた振り出しに戻るたびに、陽は沈んでいくのだろう。

昨日久しぶりにちょっと高級回転寿司に行った。



しかしながらマグロを一貫も手を出さなかった。



あまり回ってなかったせいもあるし、あまり魅力を感じなくなったせいもあるし、お店もあまり宣伝しなくなったせいもある。



僕が特殊なことを言ってるわけでなく、今の日本では多少のマグロ離れが起きている気がする。




これはやはり、マグロの漁獲量の下落が度々ニュースで取沙汰されてきたからだろうか?



つまりクロマグロがレッドデーターブックにのって、もう食べれませんよ~って宣伝しているので、あまり食べないでおこう!なんて知恵がはたらくのであろうか?




同じようにウナギもその傾向があるように思える。



がしかしだ。



各種牛丼チェーンではこの状況にもかかわらず、低価格合戦をしているではないか。



いくら中国産だろうが、世界のウナギの総数には影響するわけで。。。



第一、中国産のウナギなんて、日本近海に来たのを密漁しているんじゃないかと思われてるくらいだからね。



実際、クロマグロは美味しい。そんなことは分かっている。だけど資源回復のため我慢しようじゃないか。



養殖クロマグロだって十分美味しいが数が取れない、なら我慢しようじゃないか。




日本ウナギもそう、ようやく産卵場所が分かってきたわけで、種苗生産が出来るまで待とうじゃないか。



廉価でウナギを貪り食うのはやめようじゃないか。



一部上場会社はもう少しスマートに営業しようぜ、少しでも利益が出るからって、夏だからとか丑の日だからってむやみにウナギをフェアーにするのは、しばらくやめようよ、ね。。。




最近思うのだが、僕は時間の使い方が下手だ。



ついつい無駄な時間を過ごしてしまい、自己嫌悪に陥ることが多々ある。



確かに自営業ではあるが、現状として、ドアToドアの勤務時間はゆうに15時間を超える。



そして帰宅しても仕事関連のやることはいくらでもある。



そんなこんなでいつも仕事していると言えば聞こえはいいが、メリハリのない、オンオフのない毎日である。



だからちょっとぐうたらな路線にはまると、なかなか抜け出せない。



正直トイレにおいてあるマンガを読んでいてもそう思う。



いったい何回読んだら気が済むのだと思いながら、ついついトイレに長居してしまう。



またネットサーフィンもしかり、さらにウォッチングテレビジョンもしかりである。



気が付くとあっという間に一時間なんか過ぎてしまって、僕の唯一残されたプライベートタイムなんてものはあっという間に無くなって、また次週を迎えるのである。



そんな日々の連続で次の一年を迎えるのである。



これじゃー仕事も家のことも独学勉強も体力トレーニングも  なーんも進みやしねぇ。



でもそのぐうたらな時間というのは、本当に無駄なのだろうか?



いつもいつも模範生みたいに、ドラッガーのように、効率的に僕は生きれない。



かと言って前出したようなぐうたらな時間に生産性があるとも決して思ってない。



まだネットゲームとかにはまってないだけ優秀だと思うが・・・。



ブラックジャックを20回位読んで何が悪い?20年前の大岡越前を見て何が悪い?



過去の写真や綴りものを見て、思い出すことも無駄なのか?



いわゆる前に進んでないことは、無駄なのか?



いやこんな無駄な時間浪費は、実は心地いいのだ。なぜか。



水前寺清子も言っていたが、一歩進んで二歩下がるぐらいがちょうどいいのかもしれない。


しかしこの換算だと下がり続けるので、二歩進んで一歩下がる日もいるわけで・・・。



そんなぐうたらな時間に今日も自己嫌悪しながら、来月もいきまっせ!!!