感覚と概念の違い 現代科学を無視

 私達は宗教の統一、宗教と科学の統一をときながら現代科学には疎いです。だから「偽物の科学」に影響されます。具体的に書いたら反感を生むので書きませんが、しっかりと科学を見つめることも必要でしょう。昔原理のみ言葉は凄いな、創造原理は凄いなと感動していました。当時の科学では素晴らしい内容でしたが、それ以来何の目だった進展もありません。統一思想だけでしょう。

 科学者会議なんてしていますが、現代の科学の人間の意識に対する科学者会議に参加するぐらいのものでなければいけないのではありませんか。人間の意識の問題はとっても重要なものと思いませんか?私達が真理と読んでいる概念さえも覆してしまう可能性を秘めてます。世の中に現した真理という概念は人類の為だと思っていますね。ところがこの意識の問題と追求していくとどうやらそうではないと言うことが感じられます。

 まだ明確化されていませんが、まだ人間の意識についてはとかれてませんが、真理という概念は実は「私の為にある。」という方向に向かっているのです。これは大変なことなんですね。皆外を向いて一生懸命に活動していますが、肝心の自分については無関心ですね。その無関心のところに実は真理のみ言葉の目的があったらどうしますか?世界が変わるように願って活動していますが、別にそれがいけないという意味ではなくて、見失ってはいけないということを申し上げたいんです。自分が変わらないといけないということです。最近になって目覚めたのか一人一人が変わらないといけないといい始めました。

 意識の会議に茂木健一郎氏は参加されてます。そしてこの会議に参加している人々の意見はたいしたことないなと仰ってます。AI人口知能と意識の関係で人々が研究している事は大した事はないんです。そういう見方をされてますね。人間の意識は完全にAIを超えるのです。AIで作られた世界というのは概念を超えられません。皆さんも使われてますか?恐怖を感じますか?でもAIがいけないという意味ではなくて、私達人間が概念で考えてきたものは全てAIがやってくれるので良いのですよ。

 新しいものを生む事はAIには無理です。人間が創造性を持っています。それはどうしてか分かりますか?AIの計算は0と1で計算します。これは0と1を越えることが出来ないのです。従来の計算機はこれでしょう。そして量子コンピューターが開発されてますが、これもどうかなと思います。どうしてかといいますとどうしても形状化しないといけないからです。量子のもつれを利用していてノイズをなくするためには絶対零度に環境を整えないといけないからなので一つの量子ビットでもあんな大きな装置になってしまいます。

 でも、人間の脳の意識はそれをはるかに超えてます。新しいものを生みます。中立で計算するんです。だから日常の生活で私達が決め付けて生活しているのはどういう意味を示しているかというと感覚を無視して概念で生きることなのです。ハッキリしていますね。そうしないと生きれないでしょう。何が起きるかわからないところで生きることが出来ないでしょう。この理由は概念で生きている証拠なんですね。感覚は多様性に非常に強いんです。何が起きても適応できます。

 この人間の意識について生涯かけて探求されている茂木健一郎氏に非常に興味をもっていて、何とか接点を持つ為に挑戦しています。ユーチューブのメンバーになっています。メンバー限定の動画があってそこでは茂木先生は本音を言われます。私はそこにコメントするんです。容赦なく意見を書いています。反応はされませんが書いています。それでよいのですね。自分が何処まで通用するか挑戦しているのです。

 

 

 

 

 

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