感覚と概念の違い 感覚が麻痺した概念社会

 感覚の人が生きるポイントは今、この瞬間の、自分の周りの環境と私との関係からうまれる自分自身の感覚から来る意識です。多様性の多いい自然界で時計を持たないで、温度計を持たないで生きるためには何が必要ですか?電気もなくて火をたくだけでよいです。でも、電気はたってもよいかもしれませんね。水道もあってよいかもしれません。それから食事を作るための食器もあってもよいかもしれません。キャンプみたいなものですね。キャンプで時計と電話と温度計を持たないで暮らすのです。

 なるべく人とのかかわりを持たないで一人で全てするんです。たまに共同に生活しても良いかも知れません。協力し合うのも良いかもしれません。そこで何が必要になるか考えてみてください。未来に対してはどのように考えますか?喜びに対してどのように考えますか?生きることに対してどのように考えますか?

 何が起きるか分からないし、時間も分からないので太陽の光と自分の体の感覚で喉が渇けば水を飲み、お腹が空けば何かを食べればよいでしょう。そして何を喜びとしたらよいでしょうか?今この瞬間で何か喜びに成る事があるでしょうか?それは生き物と戯れることです。いろいろな自然の中で動物とか生物とかいろいろな生き物を感じ取り、生き物と生活する中で何かの喜びを得るでしょう。魚釣りも良いでしょう。生き物の研究も良いでしょう。いろいろな好奇心があり、その好奇心を満たす喜びもよいかも知れません。

 だからこういう生活は今、この瞬間の、自分の周りの環境と私との関係からうまれる自分自身の感覚から来る意識で生活することなのです。これが感覚的な生活になります。過去も未来もありません。今が重要なんですね。これが感覚の人の生き方なのです。そして感覚なので存在するものは全て違う存在です。同じものはありません。だから新鮮なんです。同じものだと判断しているので新鮮さがなくなってしまうのです。

 概念の世界では頭の中で描く無形のものがあります。良いもの、悪いもの、綺麗なもの、汚いもの、正しいもの間違ったものというような評価基準があり、良いものを選びますね。環境の中で得られた情報の評価をしながら良いものを選んでそれを現実化していきます。その様に社会が作られました。現代では都会に発展しています。都会は人間が描いた都合の良い社会形体なんです。そして変わらないことを願います。変わっては困るんですね。今の都会が概念によって作られた社会だということです。情報化社会になっていると言う事は情報は全て概念なんです。概念は除法にして変わらないものとして時間に関係なく場所にも関係なく使えるものなのです。これが概念の特徴です。

 変わらないのでどういう生活になるかと言いますと、未来が予測できます。予定が立ちます。それが当然になるのでなる様になるというのが当たり前になるのです。だから予定外のことが起きるのを嫌います。そしてそれが起きたら混乱しますね。変化に非常に弱いものになります。だからハッキリした目標を立てて、皆で共有しながら組織でそれを達成するのが当たり前で、それが良い事とされてます。それが常識になってますね。その様に出来ない人は非常識な人間のカテゴリーに入れられるのです。

 そして正規分布が常にあります。比較する為の正規分布が常に存在するのでその物差しを使って皆同じ基準で評価するんです。それが当たり前の社会になっているでしょう。これが概念で作られた社会の特徴なんです。そしてそこで何の問題もなく適応できて生活し、実績を上げられる人は概念の人なんです。

 感覚の人には正規分布はありません。全部違うので正規分布は成り立たないです。だからこのような感覚の人間が概念の社会で生きる事はどういう意味か分かりますか?

 私の立場は宇宙人の表現をしたことがあります。宇宙から来た存在で地球の概念の社会に入ってきて生活する為には認めてもらわないといけないでしょう。だからそのために必死で努力します。外見は地球の人々と変わりません。そして同じ言葉を使うので問題はありません。普通に生活できるはずなんですが、私が何度も書いてきましたように同じスタートラインに立つことが非常に困難になるのです。過剰適応しても合いません。心の傷を得るだけです。理解もされません。簡単に受け入れてもらえません。評価基準があるのでそれで量られます。出来なければそれだけのものなのですね。そして概念に社会に適応するには自分自身の感覚を抑圧して感覚で生きることが出来ないと無理なんです。私はそれをやりました。ある程度やらないと認めてもらえないし生きれないからです。

 少しは感覚人間と概念の人間の違いを理解してもらえましたか?

 

 

 

 

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