内的自己分析 私がHSPの理由

 

 HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)は、感受性が高く、環境刺激に敏感に反応する人々を指します。 情報処理が深く、感情や環境変化に強く影響を受ける特性があります。 共感力が高く、細部に気づき、洞察力が鋭い。 刺激による過負荷を感じやすく、適切なストレス管理と自己ケアが必要です。」と説明されてます。

 先ほどの動画「【HSPがハマると抜け出せない地獄TOP5】HSPの人はコレだけは注意というか、避けるなり対策しないと地獄から抜け出せなくなるので、ぜひ参考にしてみてください!【DaiGo 切り抜き】」の内容の記事を欠いて見ました。

 

第5位 刺激が強い環境では集中力が落ちる

 思考がまとまらなくなってしまって、考えられなくなってしまって、飽和状態になりますね。人の話はなかなか集中しないと理解できないもあります。一対一ならば別にかまわないです。でも沢山の人が集まっているところでは誰に集中したらよいのか分からなくなります。一人一人に一対一で対しできなくなってしまうことがあります。例えば一人のお客様とお話している時にもう一人の親しいお客様が入ってきた時に今まで話していたお客様のお話に集中できなくなります。そんなことが何度もありました。だから一人のお客に集中しなくてはと言い聞かせていたのです。

 

第4位 言いたいことが言えなくなる。

 これはしょっちゅうですね。言いたい事はあっても言わないです。どうしても過剰適応になるので自分の言いたい事を話していては良い関係を結べないでしょう。人の話を聞いて上げなければならないでしょう。出来るだけ親身に聞かなければならないのです。だから自分の言いたい事を言っている場合ではないのです。内面から浮かんでくる感情とか頭の中で渦巻くように回る自分の思考に対しても敏感でメタ認知できるのです。そうして言いたいことがあっても言わないほうが良いとか言う決断を下す場合もあります。あまり考えすぎる場合もありますね。考えて考えて何も意見が言えなくなる場合もあります。良い意見を言わないといけないと考えているとその時期を失ってしまうことも度々あるのです。深く考える過ぎることもありますね。言いたいことがそれで言えなくなる場合もあります。

 

第3位 誤解されてないか常に心配になる。

 言葉にする前に色々と考える傾向があります。言葉にして良いのかどうかを考えているのですが、考えすぎていえなくなる場合もあります。誤解されるかもしれないと思っているといえなくなるときもあります。言った後もちゃんと伝わったか気になったり、誤解されてないか、嫌われてないか、間違っていないかとか変に気になってしまって悩むのですね。だから外からの刺激に敏感と思われがちですが、内面のいろいろな感情に対しても非常に敏感です。だから自分の意識に対しても非常に敏感でメタ認知せざるを得ないのです。

 

第2位 対応が遅くなる。

 考えが単純ではなく、色々と複雑に考えすぎて対応がかなり遅くなります。単純にすればよいのに、悩まないで決めてしまえばよいのにそれがなかなか出来ないでいます。まあじっくり考えるタイプなのでよい面もありますね。

 

第1位 沸いてくる思考が止められなくなる。

 日常の生活で一人が多くなるので、その間何をしているかというと自分の内側で色糸と会話しています。いろいろな思考がわいてくるのです。昔は止められなくて考えているだけで疲れることも多くありました。何もしていないのに疲れている人になってましたね。これはどうして求められません。意識として上がってくるので自分の意識は自分ではコントロールできないものなので仕方がないものです。

 

 深く物事を考えるし、深く物事を感じ取ってしまうし、言葉の概念で留めて置けばよいのに言葉に対してされに疑問を感じてどの疑問を追い求めることをします。私が書いている記事を読まれると良く分かると思います。何気なく礼拝で神様の事を話しますね。とっても神様の事を話しているのは耳障りが良いでしょう。ところが私はそれをもっと深く考えてしまうのです。

 例えば神様についてはこんな感じです。神様という神観は人間が作っているし、神様の存在を外に求めている次元ではいけないなとか、自分の中に神の存在があるのにどうしてわかんないのかなとか、第二の神である良心をどうして見つめられないのかなとかいろいろな疑問が常にわいてくるのですね。そんなの言葉にはしませんが、神という言葉使われるたびに駄目なんです。

 信仰にしてもいろいろな疑問を感じます。見ない事を信じる事は多様性に弱いとか、多様性に対処できなくなるとか、今という瞬間、感覚を中心とした今の瞬間を失ってしまうとか、色々と考えてしまいます。素直に聞けないのです。本当に困ったものですね。

 これは感覚人間だから仕方がありません。概念ではより単純で決めますから、割り切って生きることが可能ですから、深く考える事はしません。そういうものだということを教えられてきたからです。そういうものだと思ってしまったら考えなくても済むからなのです。コップの中にインクを一滴入れてしばらくすると消えるのはどうしてかと生徒に聞いて、一人の女子大生が「そういうものだと思っていました。」と答えたそうなのですね。そうして養老先生はそう考えると考えなくても済むんだということが分かったそうです。

 

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ ロサンゼルス情報へ
にほんブログ村