内的自己分析の中で感覚と概念の違いについてさらに分析していきたいと思います。

 この分析は私の日常の生活の中で得られたものなのでいろいろな本とか文献の内容とは違うかも知れませんが、とにかく文字に現すことがとっても重要であり、文字化する事は一つの閃きの布石になっているようなんです。杭を刺しておくとそこからさらに新しいベクトルが始まります。

 今日感じている事を記事にしますね。何処が違うのかということです。意識をはっきりと理解しておくべきですね。通常は自分の意識は自分が感じてるから意識に現れていると思っています。自分がそこにいるから意識を感じていて私と意識の分離はありえないでしょう。自分の場合は自分の意識を私が分離していて自分の意識は私ではないのです。それを始めに説明しますね。

 

 English has two articles: the and a/an. The is used to refer to specific or particular nouns; a/an is used to modify non-specific or non-particular nouns. We call the the definite article and a/an the indefinite article. For example, if I say, "Let's read the book," I mean a specific book.

 英語には the と a/an という 2 つの冠詞があります。は特定の名詞を指すために使用されます。 a/an は、非特定または非特定の名詞を修飾するために使用されます。定冠詞と a/an を不定冠詞と呼びます。たとえば、「本を読みましょう」と言った場合、それは特定の本のことを指します。
チケットの半券、テキストのイラストのようです

 ここに「リンゴ」がありますね。三人の人が実際のリンゴを見ています。一人一人が「リンゴ」だと分かります。それは過去に学習しているからなのですね。一歳児にリンゴを見せても分からないでしょう。学習しているから「リンゴ」だとわかるのです。もし学習していなかったときにこれを見たらいかがですか?「赤い丸いもの」とか表現は出来ませんが見た瞬間にそのまま感じるものがあります。これが食べられるものであるということも学習します。だべられるものというのは至って感覚的な世界でしょう。食べられて美味しい果物という表現をしてしまえば概念の表現になりますが。親が食べている姿を見てなんだかおいしそうに食べてるとか思うと自分でも食べてみたいと思います。この世界はいたって感覚の世界であり、個人の私の世界なんですね。リンゴと私の関係が出来始めるのです。

 この三人は同じ「リンゴ」を見ていると思っています。誰一人として違う「リンゴ」を見ているなんて思ってはいません。同じリンゴだという認識は何処から来るのでしょうね。不思議ですね。不思議というか「それが当然なんだから当然でしょう。」といわれてしまいます。「そんなものだからそうなのだ。」というのです。これが概念の特徴なんです。一人一人が「リンゴ(the apple)」と言います。この実際目の前にある「リンゴ」だというでしょう。

 ところが三人の頭の中には違う幻想の「リンゴ(an apple)」があるのです。いわゆる概念で作られた「リンゴ(an apple)」があるのですね。それは一人一人感じ方が違います。それから一人一人の五感も違います。入力である電気的信号も違うでしょう。

 それがどうして同じになってしまうのでしょうか?「そんなもの」だと思ったら「そんなもの」なのです。思考停止して考えませんね。それの方が簡単だからです。概念で捉えると簡単なんです。このような類のもので悩まなくても考えなくても済むんですね。概念の組み合わせて考えるととっても明確で深く考えなくてもよくなります。だから悩まなくてハッキリさせて生きる事が出来るのです。これが概念の人の特徴です。

 

 つづく

 

 

 

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