感覚が意識に現れる その1

 「クオリアは、我々の意識にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験のことである。脳科学では、クオリアはなんらかの脳活動によって生み出されていると考える。しかし、具体的にどのようなメカニズムがどのようなクオリアを生み出すのか、また、クオリアを生み出す脳活動と生み出さない脳活動では何が違うのか、等はわかっていない。そもそも、クオリアは生物の生存にとってどのような意味で有効なのかすらが明らかでない。哲学者は長くクオリアについて論じてきたが、クオリアという概念に意味があるかどうかですら、意見が分かれている。本項では、クオリアに関する概念・議論を解説し、脳科学研究によってクオリア問題に具体的にアプローチする方法にはどのようなものがありうるかを概説する。」(脳科学辞典)

 私は今内的自己分析をしていて自分の人生がどうして苦悩、苦痛を秘めていたかその原因を大体突き止めました。自分自身の生い立ちを振り返り、その時代でどういう意識で生活していたかを求めていくと、自分は非常に概念には合わない人間だというのが分かります。私達が住む社会は概念で作られ脳化社会です。頭の中の思考によって作られた概念の社会なのです。概念による社会というのはどういう社会化を思いつくままに書いてみますね。

 善悪、良い行い悪い行い、正しい間違いの評価基準作られた社会です。正しいとか間違いとかの評価は本当はないのですね。多数決で決められて正しいものと認めています。学校で学んだ教科書が間違っているなんて思わないでしょう。いろいろな勉強しましたが、間違っているなんて絶対に思いません。間違っている事を教えるなんてありえない話です。しかし、言葉というのは何でもありなんです。正しいということで書いてしまえば、言ってしまえば正しいのです。日本の終戦のお話を養老先生はされます。絶対的に正しとされた教科書がありました。第二次世界大戦の終戦前までは正し教科書として学んでいたそうなのです。しかし、終戦で日本が負けた後何が起きたかというと、絶対に正し教科書に黒塗りをしたそうです。黒塗りにして消していたそうなんです。だから何でもありなんです。

 関係で成り立っている社会です。個人の無視します。概念までは受け入れられるでしょう。それよりも感覚の世界に入ると完全に無視されます。言葉の世界では受け入れられた様になりますが、それはあくまでも概念の世界で認められると受け入れられるのです。だから正規分布がありますね。平均値を作って平均値からどれ位離れていたら別物扱いにされてますね。良いほうだったら良いのですが悪いほうはたまったものではありません。学習障害という障害者扱いです。自分自身は表現しなかったので誰一人として気が付きませんでした。人に助けを求めることもありませんでした。何か自分でも自分を見つめていて変だなという感覚は確かにありましたね。概念の世界では理解されない立場だったと思います。自分の苦悩と苦痛は誰も理解されないということでした。

 それから概念は時間を刻みます。秒単位、分単位、時間単位、日、週、月、年と刻んでますね。どうして刻まなくてはいけないのですか?動物はそんなものはありません。太陽の光で一日を感じれます。太陽の角度で時間を感じれます。ただそれだけで良いでしょう。時計なんて要らないのです。これがあるので厄介な事が多いでしょう。約束した時間とか、都会の電車は時間通りに運転しないといけないとか、時間に遅れたらどうのこうのとか、期日までに出来ないとか、待ち合わせした時間を破ったとか、時間にまつわる問題が沢山あります。どうしてこんな時間があるのでしょう。大体共通の時間なんてないのです。一般相対性理論では証明されてます。重力波で時間が変わってしまいます。

 人間関係で組織がありますね。どうしてこんな三角形の組織を作らないといけないのでしょうね。上からの支持は絶対的なものなので従うべきであると言います。神の愛は上からやってくると教わってました。私はどうしても理解できませんでした。百回転んでも理解できません。無理です。実は人間の体の意識は逆なんです。自分の体の意識と私の関係はぎゃくなんですね。私が意識をコントロールして体を支配していると思ってますね。良くそれを見つめると逆なんです。私と言う存在は自分の意識に依存しなければならないのです。妙な表現ですね。意識は後追い意識だからです。だから人間が作っている組織自体が概念で作られたものです。

 私達の生活環境は概念で作られました。頭で作られた生活環境なのです。頭は住みやすい生活、便利な生活、美しい生活環境、気温も心地よい生活環境とか出来るだけ良い生活環境を作って変わらない環境にしてますね。じゃあその逆はどうするんですか?それを受け入れられないですね。変化に対して受け入れられなくなってしまいます。そして良い事ばかり願います。導かれることを願いますね。良い結果を願いますね。ではその反対の現象が起きたらどうしますか?私達の環境というのは頭の中の評価基準で作られた生活基準が現れた概念の世界なんですね。

 何でもかんでも明確にしないと気がすまないでしょう。明らかにしないといけない世界です。明確にされなければなりません。そしてデジタル化社会は概念の世界なんです。言葉にして残す、画像にして残すでしょう。これは時間が経過しても変わらないものなのです。これが概念の世界なのです。情報化社会はそうなっているでしょう。

 それから社会体制もそうですね。民主主義世界は概念の世界で作られた世界です。だから法律がその様になっています。そして法律で人間を感覚に戻れないように雁字搦めにしているのです。本当は被害者意識をこえて感覚に戻らないといけないのに、加害者を立てて被害者を守る法律が出来てますね。これは被害意識を擁護するものなのでどうしてもそれに依存することになるのです。そうしたら自分の中にある理想のモデルを自分自身に使うことが出来なくなるのです。絶えず人を評価して非難して批判しなければならないでしょう。そうすると人を無条件で愛する道が完全に閉ざされるのです。

 つづく

 

 

 

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