内的自己分析 困難によって創られた脳

 私の脳は困難に寄って作られた脳です。困難って言ってもいろいろな困難がありますね。先天的な困難を宿命として受け入れないといけないもの、幼少期に受けたどうにもならない困難もあります。身体的な困難はどうしようもないですね。私の困難は外的には普通なんです。だから人には分かりません。人から同情を受けることもありません。外的に普通に暮らせるし、普通に人とお話できるし、普通に生きることが出来るのです。

 私の娘は私を見て普通だといってましたね。段々と成長してきたので話の内容も少し深い話をし始めました。驚くことに理解できるのです。先日IQテスト受けたでしょう。正式ではありませんが、そのことを話したら「何それ?知能テストね、そんなもので決まるものではないわ。」なんていわれてしまって、凄いなと思いました。気が付いているのだなと思いましたね。確かにそうなんです。これは出来る人と出来ない人がいて評価基準の合う人であればよいですが、合わない人の中にも頭の良い人はいます。さらに頭の良い人となどんな人かというのも曖昧なんです。だからそこをすでに悟っているみたいです。偉いと思いました。私が長年かけて得たものをすでに知っているのです。

 それからセンスとコンセプトの話をしました。するとそれもすでに知ってましたね。(コンセプトは、概念や発想などの意味を持ちます。 わかりやすく言い換えると、物事の考え方のベース・方向性のことです。 コンセプトは、様々なビジネスシーンで用いられる言葉であり、例えば作品や広告などの制作物を企画する際などに用いられます。センスは感覚ですね。)その仕組みを知ってましたね。驚きです。

 今日の記事は感覚から来るひらめきです。茂木健一郎氏の脳の教養塾のメンバー用のユーチューブに雑談コメントしました。

 「困難が天才を作るということを仰いましたが、まさにその理由を感じる体験です。人々は困難を逃れようとします。そして自分の意識は自分と関係ないと思っています。でも、私は日常の周りの環境から得られる意識が自分の脳の成長にとってとっても良いとおもいました。それについて説明させてください。雑談話で皆さん呼んでください。  日常の環境で生きるなか、いろいろな情報を得ます。それが意識として現れてますね。今日ガソリンスタンドでガソリンを入れていたら、「ああ困難な環境っていいんだな。」と思ったのです。なぜかと言いますとその環境が素晴らしい閃きを与えてくれるからです。大体自分が得ている閃きは痛みを感じたとき、苦悩を感じたときに脳裏を掠めていきます。十秒ぐらいしたら消えて覚えてません。丁度海の中から魚が顔を出すように見つめたと思ったらいなくなる。そんな感覚ですね。ですからすぐに書き留めます。その書き留めた文章があれば戻ってきますから大丈夫なんです。  簡単な人生、都合の良い人生、自分の願ったような人生からは実は何も現れないと思いました。それで適応していますし、悩みもなく、苦しみもないでしょう。何の問題もないのですが、それでは自分の脳が活動しません。困難な状況でこそその環境を通じて得られる経験を沢山しています。社会に適応できなくて職も10年間で10回変わりました。いま少し安定しています。本当に社会に過剰適応を試みるんですが適応できなくて、いつも違和感を感じていて、何か違う自分を感じながら色々しています。鬱になりそうなんですがならないでいます。朝起きるときも何か重いものが自分の上にのしかかっていて、行きたくない思いを押しのけながら出社しないと家族を養えないし、それで頑張ってました。  実はそんな苦悩の行き方が良いと分かったんです。苦しいのは分かりますが、それの方が新しいものが生まれる予感がします。私は何の文献も読まない、本も読まない、講話も聴かない、私なんですが感覚から現れる何かを感じますね。そうして作ってきた私の脳です。人生、あとどれくらいか分かりませんが、何か活用できれば幸せですね。  すみません長い雑談になりました。」

 というコメントしました。もう4年以上のユーチューブのお付き合いなんで最近は何でも書いています。別に何も言われませんし、書かないと分からないので以前は遠慮していましたが、それはいけないみたいな雰囲気を感じましたから遠慮なく書くようにしました。

 これは私が今日感じた事でああ困難で乗り越えてきた自分の脳はいろいろな困難を通じて日常生活で相対的に感じる中で閃きがあるんだなということを本当に実感した一瞬がありました。これが、単に喜びの人生だったら閃かないところをいろいろな場面で本質的なことを閃くそんな自分の脳が出来上がっているんだなと感じた一瞬でもありました。ありがたいなと思います。

 だから私の創った脳はとっても良い実験材料なんです。意識研究における実験材料になります。概念で作り上げた脳ではなく、人生から始まった自分の脳は自分が創ってきましたが、何か変な感じで、いつも違和感を感じつつ人とに隔たりを感じながら生きてきた苦悩、苦痛の人生で自分自身で乗り越えながら創った脳です。これは非常に貴重なものだと思うのですね。そして私のような域に達している人はいないでしょう。大体は概念の餌食になっています。そして感覚が抑圧されているので社会では適応できるのです。

 私は何とか社会に適応を最高に努力を重ねてきて、それでも人々と同じスタートラインに立てない自分がいるのです。それを自分はまだまだ駄目なんだと思いつつ、努力を重ねてきました。教会生活も同じです。外見は変わらないですね。普通の人です。私は話さないし、行動にも現さないし、全て自分の中に収めるので誰一人として気が付きません。私の脳はとっても意識研究には良いモルモットのようなものです。

 これって変な表現でしょう。この意味分かりますか?分かった方は凄いです。

 

 

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