内的自己分析 三つの喜び

 自己分析で三つの喜びがあると感じてます。

 1、自分自身は幼少期の頃は一人の喜びを楽しんでました。一人で遊べる喜び、生き物と遊ぶ喜び、植物と遊ぶ喜び、昆虫と遊ぶ喜びがありますね。これは人を必要としない一人の喜びですね。これは完全に自分の感覚を中心とした喜びなんです。だから一人でいても孤独なんて感じません。楽しいのですから孤独なんてないでしょう。孤独という言葉の根底には一人で楽しめないところにあるのではないかと思います。あまりにも好奇心が強くて母親は目を離すと何処に行くか分からないといってました。ドラム演奏のよよかちゃんの弟のしどう君とこの前にある祭りがあって、二人でいろいろなゲームを見て回りました。そして目が輝いていてあちこち意識があまりにも早く回るんですね。このゲームをしたいといっていて、ああこのゲームしたいのかと思っていたら、もう次に意識が行ってるのです。このじっとしていられない正確は頭の良い証明なんですね。好奇心があまりに旺盛すぎて何処に行くか分からないという事件が起きてしまいます。私の息子は一度ありましたね。アメリカではとっても厳しいのです。小さい子が一人でいるというのは大問題なんですね。幼児虐待問題があるからです。それで、私達夫婦はガバメントからの検査員がきて家族の様子を見に来ました。でも私達が幼児虐待をしていないということが証明出来ました。頭の良い子はその様なところを持っています。小さい子は一人遊びをする子と皆で遊ぶ子と別れますね。私は一人で遊ぶタイプでした。一人で遊ぶ子は感覚の子なんです。感覚で喜ぶタイプですね。

 2、それから感覚ではなくて皆で関係で遊んで喜びを感じるタイプがあります。人間関係で喜びを得られる喜びです。子供の頃は皆で一緒になって遊ぶタイプです。そして皆で仲良く遊ばなければ喜べないでしょう。だからお互いに心を合わせて遊ぶんです。そうして喜びを得るのですね。しばしば戦いになることもあります。グループで喧嘩になることもあります。グループで喧嘩になったら収集が難しいでしう。仲直りするのに色々と大変でしょう。皆で仲良くして喜びを得るのが難しくなります。恋愛も人間関係で仲良くすることで喜びを感じることなんです。良い関係を結ぶことで喜びを感じるのです。この場合は感覚による喜びと関係による喜びすなわち概念による喜びの混合になるかもしれません。

 原理講論ではカインとアベルの一体化によるものですね。これはそれそれ内的に心の中で何かを一つにしないといけない、それは何かというと自分の相手から受けた意識に現れた相手像があります。この相手像は自分が勝手評価した相手像なんです。勝手に自分の評価で作った相手像と戦っているのですね。これはどういう意味かというと勝手に自分が評価して勝手に自分が戦っているということです。これを知ると如何に自分が馬鹿か分かります。知らないので一生懸命に人の責任にしているのです。馬鹿な自分に気が付いて悔い改める道を選択し、自分の理想を果たすところに初めて相手との一体化が可能なのです。自分の中で一体化することで外的にも一体化が可能だということなのですね。原理講論のカインアベルではこんな説明はありません。統一思想では少し説明してありましたが、意識レベルでの説明はありませんでした。内的カインアベルが一体化すれば外的カインアベルも一体化するという原則だけしか説明してないですね。それ以上詳しい事はかかれてません。

 3、概念による喜びは群れて喜ぶ喜びです。人と一緒に楽しく過ごして喜ぶ喜びです。もし、この喜びだけしか知らないとするならば、人がいなくなったら喜べないですね。感覚の喜びを抜きにした喜びでは人がいなくなると喜べなくなってしまうのです。だから人のいるところにいくんです。群れて喜ぶしかありません。だからこのような人は一人になるととんでもない試練を受けます。孤独による苦しみを受けるのです。それを何で補充するかというと地位欲、名誉欲、財産の金銭欲で補充するのです。それがあればそれで違う喜びを感じれるので楽しいのですが何かむなしさを感じながら人生を送ることになりますね。悲しいものです。

 あなたはどの喜びを感じたいですか?

 では死後の世界にどんな喜びを持っていきますか?3番ですか?これは霊界にもっていけないと一般的に宗教の世界では言われてます。では2番ですか?霊界に行く時にみんなと一緒に行けますか?実体でみんな連れて行くわけに行かないですね。関係ですから夫婦はいかがですか?宗教では夫婦で一体化して霊界で一つになって暮らすと言います。果たしてそうでしょうか?私達はそれを概念で教えられたので信じてます。完全にそれを信じてますね。少しの疑いも持ちません。では1番はいかがでしょうか?一人の喜びは何かというと天に積む宝なんです。だから誰が来ても奪い取ることができません。自分の宝になるのですね。この宝を霊界にもって行く事が出来るのでしょう。私はそう思いたいですね。

 だから肉身をもっている時の人生は喜びの為にあると言いますが、一体どんな喜びを得たいのですか?私は自分自身の私の世界、私の宇宙を創って喜びに満ちた私の宇宙を創って住みたいですね。

 余談です。

 今、量子論がとってもクローズアップされて着てます。人間の意識と量子の関係を現代科学は求めているのです。知ってますか?科学と宗教を統一したいと本当に願うのであれはこんなことも勉強しないのですか?教会でこの話を聞いたことありません。とっても重要なことなのにそんな話がないのです。先端の科学の状況を知らないでしょう。私は茂木健一郎氏のユーチューブを見ながら勉強し、コメントもしてます。何とかつかまっていないといけないからです。これぐらいしないと科学と宗教の統一なんて語れないです。言葉だけ並べていては概念で終わってしまいます。科学者に任せておけばよいみたいな、私達は関係ないという姿勢ではありませんか。

 現代でAI人工知能、量子脳理論、量子コンピューター、人間の意識とか求められているのをご存知ですか?そして多世界解釈があります。私達の生きている世界は存在しないとか、幻想世界だとか、宇宙が沢山あるとかそういう仮説が出ていて、いろいろな研究者がいるのです。それらの研究者をどうして収集するのでしょうね。古い概念でかかれた統一思想で可能ですか?

 それでは駄目でしょう。

 

 

 

 

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