「ライプニッツのモナドには窓がない。」

 ライプニッツという人物の説明からです。

 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツライブニッツ、Gottfried Wilhelm Leibniz ドイツ語:)は、ドイツの哲学者、数学者。ライプツィヒ出身。ルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者である。主著は、『モナドロジー』、『形而上学叙説』、『人間知性新論』、『神義論』など。

 哲学では「モナドロジー(単子論)」「予定調和説」を提唱した。その思想は、単なる哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。学の傾向としては、通常、デカルトにはじまる大陸合理論の流れのなかに位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも深く学び、ロックのデカルト批判を受けて、精神と物質を二元的にとらえる存在論およびそれから生じる認識論とはまったく異なる、世界を、世界全体を表象するモナドの集まりとみる存在論から、合理論、経験論の対立を回収しようとしたといえる。

 モナドロジーの立場に立つライプニッツからすれば、認識は主体と客体の間に生じる作用ではなく、したがって直観でも経験でもない。自己の思想をロックの思想と比較しながら明確にする試みとして、大著「人間知性新論」を執筆したが、脱稿直後にロックが亡くなった(1704年)ため公刊しなかった。これが公刊されるのはライプニッツの死後49年がたった1765年のことであった。ライプニッツの認識論には、無意識思想の先取りもみられる。また、フッサールやハイデガーなどを初めとする現象学の研究者から注目を集め様々に言及されている。

 数学では、微積分法をアイザック・ニュートンとは独立に発見・発明し、それに対する優れた記号法すなわちライプニッツの記法を与えた。現在使われている微分や積分の記号は彼によるところが多い

 モナドには窓がない。ライプニッツは、現実に存在するものの構成要素を分析していくと、それ以上分割できない、延長を (ひろがりも形も) 持たない実体に到達すると考えた (第3節)。これがモナドである。ライプニッツによれば、モナドは構成されたものではなく、部分を持たない、厳密に単純 (単一) な実体であるが (第1節)、にもかかわらず属性として状態を持つ。属性を持たなければすべてのモナドは区別できず、複数のモナドがあるとはいえなくなるからである (第8節)(不可識別者同一)。どのモナドも、他の全てのモナドと互いに必ず異なっており (第9節)、またモナドは変化する (第10節)。このとき、或る状態から別の状態への変化の傾向性を欲求という (第15節)。

この「状態」は他のすべてのモナドの状態を反映する。すなわち、究極的には無数のモナドから、そしてただそれだけからなる現実世界全体の状態(ということはすべてのモナドの状態)に、個別のモナドの「状態」は対応する。これがモナドの持つ「表象・知覚」能力である(モナドは鏡である)。しかし、モナドは部分を持たない厳密に単純な実体であるから、複合的なもの同士が関係するような意味で「関係」することはできない (第7節) (モナドには窓がない)。厳密に相互に独立している。

 以上

 

 モナドには窓がないと言ういみは一人一人別々の存在であるということですね。ライプニッツは人間以外にも適応してますが、私は人間だけだと考えてます。一人一人は別々の存在であり一人一人は別々の世界で住んでるのです。これが私の世界なのですね。しかし、共有している一つの世界は否定できません。これが創られた被造世界なんです。この一つの世界があって一つの世界に住んでいる人間がいます。それが私達の世界なのですが、一人一人は私の世界を持っていてとこには互いに行き来することが出来る窓がないと言うことなのです。

 だからその情報交換するための手段が概念になってきます。一つの世界では、外的なものでは共有できます。それを記号を作ってその記号に一人一人が持っている感覚のなかで意味付けして、その記号を使ってお互いに自分の持っている内なる感覚を共有しあっているのが言語の始まりなのです。

 

 

 

 

 

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