内的自己分析 微笑みうつ (Smiling depression)

 微笑みうつ (Smiling depression)は病気ではありません。社会では精神科医にかかったほうが良いというそんなカテゴリーにされてしまいます。過剰適応、学習障害との関係があるとされています。(Smiling depression describes when a person masks depression behind a smile. Someone with smiling depression looks happy on the outside when, in reality, they may be struggling with feelings of internal hopelessness and sadness.)

 内的な自己分析では私自身がその様です。過剰適応と承認欲求からくる微笑うつなんですね。概念で作られた社会に適法するのに自己設定を最高に設定してみんなと同じスタートラインにたとうと努力する私でした。教会に来ると信仰者になりたい、そして皆に認められたいと思うあまりに努力しますが、どうしてもそのままでは合わないんです。だから同じスタートラインに立てるように一生懸命に最大の努力を重ねて頑張ります。疲れた、しんどい、出来ない、無理だ、やめたい、諦めたい、行きたくない、したくないと言うのは完全な禁句なんです。同じスタートラインに立つ為にはこれらの思いは禁句なんですね。絶対に現してはいけないのです。

 こんなことしていたらいつかは限界が来ますね。やはり来ました。教会に入ってから4年目ぐらいですか、プッツリ切れました。それでそこから数年間は生きる屍となって言われる事だけをしていました。考える気力もないんです。そんな体験もしましたね。同じスタートラインに立つのは私には無理だったんです。感覚の人間が概念の世界で生きる場所なんてないのですね。だからカテゴリー化されて何になっているかというと、学習障害とかADHD,ASD,HSPとかさらに微笑みうつだとかというカテゴリーに入れられます。以前茂木健一郎氏のユーチューブにコメントしていたら、ある人(医大生だった)から精神科医に通ったらいかがですかと何度も言われましたね。

 概念と感覚の見えない世界での広さが違います。何が違うのかを少し説明したいとおもいます。そうすれば少し理解できるのではないかと思うのです。

 概念は同じにします。そしてカテゴリー化します。もともとは人間の感覚があるのですが、これを人間と人間の間で共有するものがないので、会話レベル、理解しあうレベルで共有するものがないので、形にして、記号にしてそれに感覚を収束させて意味付けするという作業をします。すなわち代表的なものが言語なんです。手話もあります。点字、ボデーラングエッジとかジェスチャーとかいろいろな形に表して自分の内面を表現します。美術とか音楽もそうですね。そうして人々と共有できるようになるのです。それから時空を越えて変わりません。だから昔の文字とかいろいろな記録が残っています。現代科学が発達して、写真、録画、録音とかいろいろなものがデジタル化されて残されます。コピーという概念もありますね。そして残せます。そしていまやインターネットの時代になりました。世界の多くの情報を共有できるようになりましたね。それを使って私達は生活しているので、個人の感覚は抑圧されるのです。正反対だからです。

 感覚というのは今、この瞬間、自分の周りの環境が全てなんです。だから今この瞬間で見るので無限の多様性に順応できます。それに順応できないで色々不安を感じたり、怒りを感じたり、イライラしたり、計画通りにならなかったり、願おうとおりにならなかったり、良い結果が現れなかったりする感情を感じるのです。しかし、感覚の人は今、この瞬間、自分の周りの環境に投入するので関係ありません。あるがままの生活をします。それが想像された地球上の自然が一番なんですね。

 そんな人間が概念の世界でうまれてそこで育ち、概念の世界での教育を受けてそれから社会で就職はしないで教会にきました。そんな同じスタートラインに立てない私が生きる道が何かというと微笑みうつで生きることなんです。自分の内側は絶対に表現しないんです。心に秘めています。どうして話す必要があるのですか。感覚人間は概念人間の用の報告、連絡、相談は必要ないのです。だから話しません。話しても理解できるようなものではないからです。概念人間は話したら理解できると思っていませんか。人が話したら理解していると思っていませんか。それは概念だからですね。感覚人間の立場では無理です。意味がありません。そんな理解になるのです。だから現しても意味がないし、自分の理想を自己実現するしかないではありませんか。そうして生きるので、過剰適応、学習障害、微笑みうつみたいなこの現代社会では精神科医にかからなければならない人間としてカテゴリーに入れられてしまうのです。そうされないように人に気が付かれない様に生きるのです。そうしてそんな表情を作って言動にすればよいわけです。

 私の内面を誰一人として理解する事は出来ないですね。無理です。一人一人違う存在なんだから無理です。感覚の一部を凝縮させて概念化して共有しても限界がある言を知らないのです。知らないので全てを言語化しているでしょう。そうして出来上がるAI主流の社会になります。その奴隷になりたいですか。一応、生活上生活しないといけないので現代のツールを使いながら生活していますが、人間の本性はそこにはありません。

 

 

 

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