内的自己分析 二人の私 ①

 自分の体の中には二人の自分がいます。自分の肉身を作っている「肉身の私」それから「内なる私」の存在と二つの私がいます。これらはそれぞれが学習のループに従って成長するようになります。「肉身の私」は自動的に成長するようになっています。

 これは動物のように自動的に成長するんです。「肉身の私」が眠たい時は「内なる私」が眠たくないといっても眠ってしまいます。「肉身の私」が食べたい時は「内なる私」が食べたくないなんて指令して、食べ泣けれは痩せて死んでしまいます。だから「肉身の私」は「内なる私」が嫌だといっても難しいのですね。人間の空腹感とか喉が渇いたりする感覚は人間の脳が指令して意識に現しています。それから人々は動物にも意識があるという人がいます。でも私は動物は人間のような内的な学習ループは存在しないと考えています。だから意識はありません。「肉身の私」は無意識で自動運転しているのです。

 そしてこの自動運転には「内なる私」が干渉する事はできませんね。「内なる私」が「肉身の私」に干渉できるのは意識に現れた時だけなんです。意識に現れた時だけ自覚できるのでそれに対してだけ「内なる私」が干渉できるのです。何らかの「肉身の私」と「内なる私」がそこにあるからなのです。だから「肉身の私」は自動運転と考えてよいでしょう。自動運転ということなのですが何を体をコントロールしていますか?それは「肉身の私」の脳がコントロールしているのです。人間の生活の中で無意識の行動が殆どですね。

 自分が全部意識して行動していると思っていますが、少し考えてみてください。そうではない事が分かり始めます。意識自体が「内なる私」が作ったものでない事も分かるはずなんです。大体の人々は自分の意識は「内なる私」が作ったものであると疑いなく信じてます。だから絶対に自分の意識は否定できないんです。絶対に正しいと思うのです。間違った考えだというのはありません。自分の考えを変えるのは非常に難しいことなんです。よくよく考えてみると自分の意識は「肉身の私」の無意識が作ったものなのです。それをなかなか認める事ができません。だから認めないと自分が原因ではなくなるので、人によって私は苦しめられたとか、人に騙されたとか、人に利用されたとか被害者意識になりやすくなります。なぜかというと原因が外にあるからなのでしょう。

 宗教を信じる人はその矛先を人間に向けられないので、人を愛することを願われるので、その矛先を人に向けられないのであれば何処に向けなければならないのでしょうね。まさか自分に向ける人はいないでしょう。自分に向けられないのであれは何処に向けられるのですか?

 それを見えない世界に向けるしかないのです。それが現状なんです。それが宗教の世界であり、象徴的に条件を縦ながら復帰してきた経過なんですね。実体は何かというとそれを自分の責任だということを認める世界なんです。全ては私が原因している事を認めた時点で新しい世界が始まる事を明記します。そこから「私の世界」が見えてくるのです。これを誰一人としてみないので「私達の世界」で生きることになるのです。これが現状です。

 これを認める事で記事を進めます。これを認めると「肉身の私」は自動運転だということが分かります。それに「内なる私」は完全に依存しています。自分の体をどれ位コントロールできますか?自分の体をどれ位変えられますか?癖がなかなか直らないのは自動運転だからでしょう。昔の自分が徐々にそれを学習したので癖になっています。この癖をなおすには学習をしなければ直らないです。大変な作業になるのです。

 ドラッグで自分の「肉身の私」を作ったらもう大変でしょう。直る見込みがないくらい大変でしょう。周りの環境を強制的に第三者が遮断しない限り難しい事なんです。「肉身の私」は自動運転だということが分かります。そして「内なる私」は完全に依存しています。

 このようになっているので何が言われているかというと、自由意志はないといわれるのですね。しかし、原理講論では責任を伴う自由意志と自由行動があると説明しています。一体何が違うのでしょうね。自由意志はないと言う表現は何処までの事を言われているかというと、自分が依存している「肉身の私」が自動運転されているということなんです。それさえ私達は気付く事はありません。自分が生きているという考えですね。生かされているのは「肉身の私」は自動運転だからでしょう。実はこの自動運転が普通の偶然の方向性のない自動運転だったら生きている意味がありませんね。ここがうまく出来ているのです。

 創造主が形になって現れた人間には普通の機能ではなくて、「内なる私」は完全に依存しているんですが、「内なる私」の理想を完全に果たしてくれるように機能しているのです。私のユートピアを作れるように機能しているということなのですね。とっても大変なことになってきました。ほぼ信じれない内容ですね。勝手に作った内容ですね。誰も考え付かない内容ですね。良いではありませんか?誰も考えないことを考え出して書くのはとっても面白いです。その機能について次の記事に書きます。

 

 

 

 

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