自己分析というシリーズを立てました。何時まで続くか分かりませんが、自分を知るためのたびを始めます。

 感覚人間は一対一の付き合い方をします。どうしてかというと感覚は人間を見ても一人一人違うからです。例えば沢山の人の中に犬を連れてくると人間はみんな人間だからと言ってい安心しますね。しかし、犬は主人が人間で優しいからと言って他の人間も優しいなんていう事はしないそうです。一人一人の人間は違うからでです。

 普通だったら、講演会で全体的に受け入れてもらっていればそれで満足しますよね。一人の人が話を聞いて気分を害してもそんなの問題ないんです。反対する人がいたとしても、全体の8割が話を受け入れてもらってたら満足なんでしょ。これは概念で考えている人の特徴なんです。ところが感覚の人の場合は一人ひとりに説教するようなもので、一人ひとりに受け入れてもらいたいと思うのでです。全員が受け入れてもらえなければ自分自身に不満足になってしまうんです。一対一の関係なので100人いても一人が受け入れてもらえなければ結局受け入れてもらえないと感じてしまいます。受け入れなかったその一人が非常に気になってしまいます。だから自分自身の内容が素晴らしくなくて、自分がまだ未熟であると評価するんですね。

 私は日本で一度だけ礼拝の説教を担当した事があります。一人ひとりを見ながら話していると、どうやら眠たい人も出てくるし、よく聞いてくれる人もいるんですけど、その眠たい人々に気持ちが言ってしまって、あまりいい顔をしながら聞いていない人々見て何をするかと言うと、自分自身を責めているんです。話しながら自分自身を責めているようなそんな状況になっているんです。そして話している最中に自分のお話は良くないのかなと疑い始めます。

 だから一度に複数との関係はどうも難しいようです。1人であれば良いんですが、それが複数になってくると、だんだんと自分の中で一人一人を完全に一対1で環境を持ちたいので、かなり難しくなってしまうんですね。おそらく私の場合はかなり感覚よりに寄っているんで、そういう悩みを持たざるをないんでしょう。

 人前で素晴らしく人を感動させながら話す人はいるでしょう。それは非常に素晴らしいと思います。私にはできないからです。基本的感覚っていうのは人間が違うので、一人ひとりの個性があるし、人の立場が違うし、第一その存在自体が一人ひとり違うんだから、ひっくるめてまとめて付き合うなんて難しいんです。社会では何の疑問も感じないで、人間にとって良いことであり教育を通じて育てることであり社会に出るための準備だと言うことで教育の場を作ってきました。それが素晴らしいことだと考えるのでその様な教育機関を作って教育しているでしょう。それが良いことだと判断して教育しているんです。発展途上国の人々に対しても同じですね。先進国のその教育を発展途上国の人々にしているでしょう。同じシステムで子供たちを教育しているじゃないですか。

 この意味はどういう意味かって言うとみんな同じ基準で同じ評価基準で教育し、そして同じ同じ評価基準で測るんです。別にこの教育形態が悪いと言う意味ではありません。この教育が環境と言う立場で与えられているのであれば別に問題ないんです。一人ひとりが学びと言う観点で受け入れていけるのであれば問題はありません。

 ところが一人一人がほんとに学んでいるかどうかを確かめるためにテストし、テストの評価でその基準を設けているじゃないですか。それで一律の評価基準を立てて優劣を決めているんです。それが私にとっては非常に難しいんです。そのような評価基準で人を図ることによって良し悪しを決めるなんて感覚の人にとってはその様な評価は無理なんです。一対一なので善悪の評価基準もないんです。善悪の評価っていうのは、結局たくさんの人々が集まって、たくさんの人々が決めた。その評価基準じゃないんですか?

 沢山の人々にとって自分に都合が悪いものであれば悪とし、沢山の人々にとってその行為が都合が良ければ善とするそういう評価基準なんです。人間の行動と動きを人間が評価してきただけなんです。その評価の結果善悪を決めているのではありませんか。これが可能なので二つに割いて復帰が可能になっているのです。中間の位置に陥った人間を復帰するために外的に人間は評価するので、その評価の対象を二つに割くことで象徴的にそれを一つにしないといけないわけです。それは人間の内側にある評価基準を引き上げていくことなんですね。すなわち理想を高めるという意味でしょう。そういう象徴的な条件によって人々の理想の評価が高められてきたというものです。それが条件の目的でしょう。これは外的なものです。外的なものに対する評価基準というのは概念になってしまうのです。

 私達が日常で善悪の評価基準を持って生活しているのは何を基準として生活してるのでしょうか。正規分布てご存知ですか?正規分布図というものがあります。ベルのような形をしていて、真ん中が評価の中心になります。そして真ん中からどれくらい離れているかによって評価を決めるんです。全体の中の平均値をとって、その平均値からどれぐらい離れているかと言うことを決めているんです。私たちはその正規分布を使って物事を評価し、物事の優劣を決めて物事の善し悪しを決めて生活していると言うことなんです。

 だから個人と言うものは完全に無視されることになります。自動的にこれを使うと個人を無視するようになるんです。この代表的なものが偏差値でしょ。偏差値は50が真ん中です。そして50よりも上の人は優れていると評価されます大学の偏差値も同じですよね。60なんてなったらかなり優秀な大学にランクされているはずです。とれからIQと呼ばれる知能指数と言う正規分布もあります。100が平均値なんです。そして知能指数が130になるとそれ以上の人は特別な人として定められているシステムもあります。そのようにして1つの物差しで人を図ると言う事はどういうことかと言うと個人の感覚を無視することなんです。

 だから私の苦悩と言うものはそこにあるんです。人が平気でできるようなことが私にはできなかったんです。そこに戦いがあり、そこに決意がなければできなかったんです。人々にとってはそんな決意とか戦いとかする必要もないのに、私は決意と戦いが必要だったんで、人々は私を見てそんなに真剣に考えなくてもいいんじゃないかとか、考えすぎだよとかいろいろ勝手に言うんですね。だからいつも私は浮いていました。何か違っていたので自分は浮いた存在でどうしようもなかったんです。

 大学生の時は1人でいることが多かったので、別に自分のその苦悩は顕著に現れてきませんでしたが、教会に入ると嫌なことばかりをしないといけないんです。生活自体が既に戦いであり、24時間戦いの場となってしまうんです。教会に来て喜んでいる兄弟姉妹を見てほんとに不思議に思いました。どうしてあんなに喜びながら歩めるんだろうかと思いつつ、喜べない自分が変なんだと思って、全体の前では同じように自分も振る舞おうと一生懸命努力していた自分がいたのです。それは苦悩の毎日にならざるを得ません。

 だから私は一度1988年にアメリカに来たときに、グロースターでのその歩みは、私にとっては、人生の大きな転換の出来事だったんです。その開放感って言うものは私にとってはとってもショックでした。自分にはここしかないと思える位にアメリカでの3ヶ月の歩みだったんです。それでアメリカでいる事を決意をしたんです。でも旅行ビザで来ていたので日本にどうしても帰らない事情がありました。当時の私はそのまま残れると思ってたのです。無知でした。

 もしこれがなければ、自分は日本にいたのかもしれません第一アメリカに行くなんて、自分の人生において考えもつかなかったことだったからです。だからこの3ヶ月の期間ていうのは、自分にとって人生を左右するほどの出来事でした。開放感があったんです。全体で縛られる、自分、縛られと言うよりも全体に自分の感覚を押し殺して全体の中で歩まないといけないって言う。その苦悩から少しでも解放されるので、その感覚が非常に開放的だったかもしれません。それで私はアメリカを選びました。2年後に私はアメリカに来ることができました。

 このようにして私はどうも感覚優先の人間なので、囲いで囲まれてしまうと、その囲いの中で最大に適応しようと努力するために自分を押し殺して、自分の感覚を麻痺させて適応させようとするので、どうしてもそこには苦悩がついて回ります。これを直す事は不可能です。今まで人生においてこの教会での生活44年が過ぎましたが、いくら努力してもこの苦悩を解決するする事は無理なんです。何故かと言うと自分の感覚を麻痺させないといけないからですねそれは不可能です。

 概念の人から見るとそんなに真剣に考える必要ないじゃないか。そんなもんなんだからそれでいいじゃないかとか言葉なんだから言葉のように生きればいいんじゃないかとか、みんな一緒になって助け合って理解しあって1つになって生きればいいんじゃないかと勧められます。必ず勧められます。全体と言う囲いで囲むと全体でどうしても動かないといけないので、同じ動きをしないといけないですよね。だから個人のそのしたいことをする事は全体に反することであれば、それは悪い評価として捉えられてしまうのは当然なんです。

 そうして自分の生き難さがあったようです。同調圧力、同化圧力、常識、空気を読む、個人の行動を無視するその様な風潮は感覚にはかなり締め付けの厳しい環境なんですね。その様な中でのイライラ、怒りを克服するのも大変なことなんです。それを私は克服しながら何とか子の環境に合わせてきました。

 

 

 

 

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