一部の人々は「私」について考える人がいますね。私も昔から考えていました。「我思う、ゆえに我あり。」という有名なデカルトの言葉があります。昔はこの意味がまったく分かりませんでしたね。確かに「私」と言う固有の存在がいるんですね。「私」とは何でしょうか?何処までが「私」なのか考えて見たいと思います。

 大体多くの人々は多くの人間の中に埋まってしまって世界の中の「私」の存在なので「私」を考える前に世界との関係を考えるようになっているようです。その世界が私達の世界でありそれで私達は生活しているのでしょう。日常の生活で私を見つめる事はほとんどありません。環境の中での自分自身を見つめるメタ認知もしません。環境と私の意識で生きている感じでしょう。周りに環境があってその環境の中に自分がいていろいろな関係を持ちながら自分の意識で生きているという感じだと思います。だからかなり環境に影響されながら生きることになるのです。環境が全てになります。

 そして「私」を見つめる事はないのです。これを概念の世界で生きるということです。環境と自分の意識と概念です。で生きることなんです。そこには「私」がなく、自分自身の感覚もなく、自分自身の内観もなく、私の世界なんて感じることもないでしょう。全て人間が作った概念で生きることになるのです。それが人間の今の姿なのです。環境に影響を受け、人々に影響を受け、変わりやすい人間の姿になります。変わらない人間、影響を受けない人間になろうとか思っていますね。でもそれがなかなか難しいのは「私」を見出せないからでしょう。私にはある程度分かります。そしてなおかつ今も探求中です。だから何処まで「私」なのか探って生きたいのです。

 肉身は「私」ではありません。しかし、「私」はこの肉身に依存しています。かなりの確率で依存しているようです。それは無意識と意識の割合ぐらい「私」は依存していると感じます。自分の意識も実は「私」ではないんですね。自分が作った、今まで生まれれ今という瞬間まで自分自身が色々体験して色々と記憶して作ってきた自分の脳があるでしょう。その自分の脳は入力信号で無意識の世界で計算しているのです。評価しているのです。そしてそれを意識化しているのです。その意識が自分が日常に感じている意識なんですね。意識と感じたときに私の意識なんだと言います。詳しく書けば私が作り上げた脳が作った意識だということなのです。

 少し難しいでしょう。私が作っている脳は脳が作った意識で私は生きていて、それをいろいろな環境の中で学習して作り上げてきた私の脳でしょう。脳が作った意識で生活して、自分の脳を作り上げながら、今という瞬間を生きているということです。分かり難いですね。でも一応書いておきます。実はここには「私」が何もできないで存在し、仕方がなく肉身に乗っかって肉身に依存しながら生きているというイメージです。

 肉身が作り上げた意識には「私」はいません。これは肉身の寿命と共に消え去ります。どういうことかというと環境から情報を受けて自分の脳が意識を作りそれで私達は知識をえてますね。そして色々と考えを変える事が可能です。脳の学習なので変えれられます。この部分は肉身と共に寿命が切れればなくなってしまうでしょう。だから霊界に行くと変わる事が出来ないという意味はここにあるとおもいます。社長になって金持ちになった。その地位と名誉、財産は持っていけないとよく言われます。

 私の場合は自分の意識と「私」が分離してます。私の意識をメタ認知できるからです。私の意識を分析できるからなのです。だから分離しています。そしてそれを自分の作った理想があります。自分が作った理想も「私」ではないですね。肉身をもっている時に自分の脳に構築したものなので「私」ではないと感じてます。その理想が自分の意識評価をするのです。この働きが良心作用のように感じます。この時点で「私」は一体何処にいるんでしょうね。

 この良心に従うか従わないかの選択肢はあります。その選択を「私」がするのです。イエス様の言葉で裁いてはいけない、裁いたその裁きで自分が裁かれるというのは裁いたその裁きの基準は自分が作ったものですね。自分が人生をかけて構築してきたものでしょう。その基準で裁いているのです。これは何かというと自分の肉身が勝手に人を裁いているということなのです。だから「私」はどうする事もできません。難しいからみんな悩んでいるのでしょう。どうしても人を裁いてしまうから自己嫌悪に陥っているのですね。人を裁いているのは自覚できているんです。しかし、どうすればよいか分からないのです。裁いているという事実だけは分かるのですが、そこから前に進むことが出来ないですね。それはどうしてかというと裁いている自分が自分自身の肉身だということを知らないからです。自分自身の脳が勝手に裁いているということに気が付かないからなのです。それを認める事で何が起きるかというとそこから「私」が自由にできる世界に入っていくことが出来るのです。

 

 

 

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