残される私の責任
 善悪の評価関数、正しい間違いの評価関数、綺麗なものと汚いものの評価関数、良い匂いと臭いと言う評価関数、きちっと整理されてると汚れてると言う評価関数とかそういう関数を環境に使っている私たちの日常の生活があります。必ず外観を私たちは評価するものです。
 そして全て自分に都合の良いものだけを選んで、都合の良いものだけを受け入れると言う自分を作るしかないんです。どうしてかって言うとそのように評価しているからです。評価してしまったら、やはり自分にとって都合の良い方がいいじゃないですか。誰が都合の悪い方選ぶんですか?誰も選ばないでしょう。
 ところが私たちの脳が評価してしまうんで、それがどうしても意識として現れてしまうんです。普通は自分が意識してると思ってますよね。ところが最近の脳科学ではそうではないと言うことが明らかになっています。自分の脳が先に意識の初期電圧を作っているんです。その結果、私たちは意識として感じているだけなんです。
 これがなかなか受け入れることができていない現実があるんです。このような事は御言葉は真理だとか正しいだとか、そういう評価以前の問題なんです。事実がそうなっているので、受け入れないといけないんです。受け入れるか受け入れないかのどちらかなんです。
 実は実際これを人間は受け入れることができていないんです。例えば「人をどうしても裁いてしまうんです。」と悩んでいますよね。そして相談すると手放しなさいと言われます。悩まないように忘れなさいと言われるでしょう。でも、その裁きの思いと言うものは、同じ環境になればまた現れてくるんです。何故かと言うと自分の理想の評価関数を環境に使っているからです。イエス様の言葉であなたがさばいたその裁きであなたが裁かれる日がやってくるだろうと言われました。それはどういう意味かと言うと、自分が今までの生活で構築してきた評価基準で人々をさばいているんですが、その評価基準で自分自身を裁く日がやってくると言う意味なんです。自分自身を見つめ始めたときに、それが始まるという意味なんです。だからイエス様の時代において、イスラエル民族は環境を見ながら律法で裁き善人と罪人と分けて見ているのです。イエス様ご自身も結局十字架に付けられて行かざるをえなくなりました。イエス様についていく弟子たちはわからないために、結局十字架につける結果になってしまったと私は感じるんです。
 これは2000年前の出来事だと思うでしょう。ところが今と同じなんです。2000年前と変わりはしていません。同じ状況になれば裁いてしまうんです。どうしようもないんです。人間の意識と言う問題に対して目を向けないし、自分自身の内観を見つめるようにしないので、結局わからなくなっていると私は感じてやみません。
 だから何をしないといけないかと言うと、自分が人生で培ってきた。理想に対する評価関数を外観に求めるのはやめて、自分の内観に求める努力すべきなんです。それを日常の生活で行っていくんです。それをすなわち、自分のホームチャーチで、人と接しながら、自分自身の生活で内観を見つめつつ、自分のその実行実現をするのが目的ではないかと思うのです。人々復帰すると言う意味ではなくて、自分自身の自己実現のためにホームチャーチと言うものはあると思われるのです。
 自分自身が構築してきた理想実現するのは何を実現するのですか?ホームチャーチの中でみんなが原理の御言葉を聞いてそれでおしまいなんでしょうか?みんなが原理の御言葉を聞いて、それでみんなが受け入れたらそれでおしまいなんでしょうか?今私たちがやっていることの縮小隊がすなわちホームチャーチだと思ってください。そのホームチャーチで自分の理想を果たすとするでしょう。どんな理想を自分のホームチャージで果たしたいですか?みんなが原理の御言葉を一寸の疑いもなく受け入れて、それで完了なんでしょ。
 そこにまだなさなければならないことがあるんだって言うことを私は問いたいんです。それが一人ひとりホームチャーチの一人ひとりが果たさないといけない責任分担があると言うことなんです。それを全く無視しているので、私は問いたいんです。
 この一人ひとりの責任分担っていうのはなんでしょうか?それがすなわち一人ひとりが個人の責任抜いてなさなければならないことがそこに存在するんです。それが今から書こうとしている内容なんですね。
 すなわち今まで構築してきた理想の内容を何を持って実現するかと言うと、外観ではたそうとしてもダメだったでしょう。それでも不十分だったんですね。それを内観で直さなければならないと言うことです。すなわちイエス様がおっしゃったその内容なんです。環境人々をさばいていったその裁きで、自分が裁かれる日がやってくると言うのは、実はこのことなんです。自分で自分を自分の理想で裁く日がやってくるということなんですね。だからそれはそれで良いんです。気づいたところが出発点なのでそこで努力すれば良いことなんです。
 「自分の理想で自分を裁く日がやってくる。」と言うことを体験したことがありますか自分自身の心の中で自分を裁く日がやってくるんです。私はこのことを「心の師匠」と名付けて何度も記事を書いてきました。まるで師匠のようにして私を正すんです。被害者意識になると「お前はそれで良いのか?被害者意識になって加害者を責めても良いのか?加害者が悪いと言って裁判にかけて罪人になってもそれで満足するのか?じゃああなたが願っている理想がそれで果たせるならばいいけどどう思う?きっと果たせないだろう。それはあなたの好きなようにやればいいが、無理だと思う。賢い人間になりなさい。私の言うことを聞いて被害者にならないで自分自身を見つめなさい。そうすると、あなたの願っている理想が被害者意識になっていては、果たせないということがよくわかるでしょう。だから私の責任として受け止めなさい。そうすると、あなたの理想はきっと果たせるよ。」と言うんです。
 だから、これを聞かないで、何度もやっても、やはり心の師匠の言う通りやらなければできないということがわかったので、もう私はその心の師匠の声に従わざるを得なくなっているんです。こんな経験をした事はありますか?私は毎日のように経験しております。心の師匠の声を聞くか聞かないかはあなた次第です。私は何も言う資格はありません。

 

 

 

 

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