感覚の世界の旅 その108 多世界解釈

 原理講論、み言葉では多世界解釈の事は書いていないですね。そんなものがあるのかと問われてしまいます。あってもそれは霊界じゃないなんていわれてしまいそうですね。ところが現代科学でな通用しないのですね。馬鹿扱いされてしまうのが落ちです。どちらかというと仏教の方がより近いかもしれません。キリスト教は長子権復帰の時代圏では中心宗教として認められます。なぜかというと善悪に分立して条件を立てる宗教はキリスト教なのですね。キリスト教はより外的な世界を求めます。だから内的に神の存在を求め始めるとキリスト教ではなくなってしまうのです。どうしてかというと神とサタンの存在が消えてしまい、善悪基準も消えるからです。

 仏教は人間一個人の内面を見つめます。だからこの多世界解釈の世界は仏教の方がより近いですね。量子力学の世界は仏教と通じやすいです。量子の振る舞いと人間の意識の関係もいま探求されているところなのです。こんなの求めないでしょう。そして多世界解釈があるなんて知らないでしょう。私は日常の生活の中で「私の世界」があるという事を見つけました。一人一人が「私の世界」をもっているのです。この「私の世界」というのは実は何処から来るかというと一人一人の感覚からくるのですね。一人一人の感覚は共有することが出来ないのです。自分の感覚で私の世界を作るのです。それは感覚から来る意識で「私の世界」と作ります。

 世界には事実の世界が存在します。これは創造主が創った物理的現象によって作られた世界です。そして植物も動物も作られた世界なんですね。一つの世界で存在していて、アルゴ二ズムで運行しているのです。一定の法則があります。もし人間がこの世界で生きているとするなら一定の法則から逸脱する事は無いので新しいものは現れないでしょう。その中で法則に従った生体ロボットとして生きるのです。だから僕なんです。人間以外の存在は僕というのは法則にしたがって運行しているからですね。一つの世界で運行しているのです。

 人間は何が違うか?人間の体は動物と同じです。類人猿からどうして人間が生まれたのかは明確にはなっていませんが、始めの人間も類人猿の体もあまり変わらないでしょう。どうして人間は違うのでしょうね。感覚という機能、すなわち電気的な信号による働きというのは類人猿も人間もおなじでしょう。脳が記憶して、脳が指令を出すことで筋肉を動かして行動するのです。

 人間は一体何が違うのでしょう。何が違うかというと電気的な外からの信号を用いて感覚という意識にするところが人間と動物の違いです。この意識というのは何かというと一定の法則を超えているのです。これは一つの世界に存在するものではなく、一人の世界になります。すなわち「私の世界」になっているのです。人間の意識になった時はそれが「私の世界」であり、物質の世界では無くて見えない世界の私の位置と状態を示しているのです。

 原理講論の表現をしますと意識は霊界なんです。日常の生活で自分の体の行動は自動操縦ですね。いちいち細部にわたって指示はしないでしょう。自分が自分の体に指示をどのようにしていますか?大体の指示ですね。全て自分の脳が操縦して私達の体を動かしているのです。どれくらいの割合で私が介在しているか分かりませんが、ほぼと言ってよいほど脳が自分の体を動かしてくれてます。そしてその中の無意識の中から何かの目的をもって意識化してくれているというものです。だからこの意識化した意識が私自身の位置と状態になります。ここがスタート地点なので良心作用が起きます。善悪の基準の良心作用ではありません。自己実現の為の良心作用です。

 そうして日常の生活で意識を通じてがくしゅうするのですね。これが霊的な成長につながります。ところが私達はこの自分自身の意識を受け入れられていないのです。分かりやすい表現をしますとあるがままの姿になれないし、あるがままに受け入れられない状態になっているのです。全てを受け入れる必要があります。そのためには簡単に自分の基準で評価してしまわないことなのです。善悪、良い人悪い人、非常識なひと、臭い、醜い、とか人種差別してしまったりするでしょう。それは自分が作った脳が原因なんです。それを受け入れられてない現実があるのです。

 実はこの世界が「私の世界」なんですね。この「私の世界」で何を作るかというと自分が肉身を脱いだ後で生活する永遠の自分の喜びを世界と創造して暮らすんです。男女で二人で暮らすと思うでしょう。実は私と言う存在は中性なんですね。私という存在が受精卵から始まって性別が決まります。これは物理的なこの世界の法則に従う必要があるので、男女に分かれるのです。しかし、喜びに置いては男性と女性は同じではありませんか。愛し合うことで私の喜びの世界を感覚を通じて創造するのです。だから私の世界であり、私の創造主でもあり、私が宇宙を創造した創造主にも似ることが出来る道がここにあるように思えます。

 これが私が考えた多世界解釈なんです。

 

 

 

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