感覚の世界の旅 その67 真理より尊い植物

 すべては人間が作ったものです。この写真を見てください。この写真はあるものを覗いて全て人間が作ったものです。そのあるものを除いてと言うのは、何かと言うと、緑色をしたものが見えるでしょう。そうです。生命です。これを皆さんがご覧になった時に感覚で見つめるのです。とは言っても頭で考えてできるものではないので、そのまま見つめるんです。緑を見つめながら考えてみてください。

                        写真の説明はありません。
 この生命は、私たちが唱えている真理と言うみ言葉よりも、私はもっと尊いものだと感じております。なぜなら、この緑の物体は概念では無いからです。写真は概念なんですが実物を見るだけで私たちの感覚に訴えてくるんです。何も考えないで見て感じるんです。これを概念の人たちは言葉にして言葉に表現してそして伝えようとするんです。だからそれが概念化して人々に伝わってしまうんです。そして人々はこの概念の世界で生きるんです。その中で私たちが真理と言っているみ言葉を読んでいるその言葉が存在するんです。いくら真理だと言っても、それは概念に過ぎないんです。
 それよりもこの緑の部分がもっと尊いものだと私は感じます。そういう風に思ったのは最近で、私のYouTubeアカウントでは何を出そうかと考えてましたが、最近はその中で人間が作ったものの中で耐えながら生きている生命を描くことにしました。人間が整理して整えたものではありません。例えば花壇とかお花畑とか、それから盆栽とかそういったものも悪くは無いのですが、自然に成長しているその生命が番良いと思うんです。
 生き物っていうのは生息する地域が決まっているんです。場所が大体決まっているようです。だからその場所にふさわしい生命が生まれるようになっているんです。いくら生命でも人間が手を加えたものは私はあまり賛成できません。なぜなら、人間の概念で、人間が願ってそのようにしているでしょう。まるでそれは人間の概念によって縛られて作られた都合の良い生命になってしまうんです。だからその場所とその気候に合った生命と言うものが一番私は良いと思います。
 これらが人間に与える感覚の世界というものがあって、その人間が受けた感覚で、その人間は自己実現をしていくのです。だから何が重要になっていくかと言うと、今ここにいるこの瞬間が重要になるんです。実はこれを見えなくしている原因があって、それが何かと言うと、人間が作り出した概念がそのようにさせています。
 自分自身感覚を磨いていくとどうなったかと言うと、今日書いた記事とそれから1枚の写真が物語る、その内容にたどり着いたというか、これも1つの通過点だと思うんですが、これは私たちが概念で学んでいる真理と言うみ言葉以上に貴重なものであると私は感じております。毎日読んでいる訓読がいけないと言うわけではありません。このままでは私たちは成長しないと感じるからです。私たちの成長は私たち一人ひとりの感覚に基づいて人間は実に必要な生き物と必要でない生き物と分けて来ました。癌細胞も同じです。私達には誰でも癌細胞があります。それを排除してるのではありませんか?人間は皆んな都合が悪いと排除し、都合の良いものだけを受け入れます。それで都合の良いものだけを神様と叫んでいるのですから、私を含め人間って馬鹿ですね。

 この前の記事でそんな事を感じました。これは人間関係にも当然ながら現れますね。そして人間の成長なんて叫んでるのですから、私は正直言っていくら過剰適応して来たからと言ってこんな自分にとって無駄なことは出来ないです。あくまでも私にとっての内容ですから勘違いしないでください。このように都合の悪いものを排除する習慣というものが長年続いてきました。

 これは結局何が原因となってるかと言うと、自分自身を受け入れてないからなんです。自分自身を受け入れてないっていう意味は、過去何回も記事にしてきましたね。その原因が自分自身の意識を受け入れてないからなんです。物を排除するその習慣はどこから来て、どのように評価してどのように排除しているか、その過程が全て人間の意識を土台としていますね。その自分の意識を受け入れてないので、都合の悪いものを排除していく習慣になっているんです。それが実は私たちの言っている堕落性の根源であります。

 自然界、特に人間が手をつけない自然界の生命はみ言葉より尊いです。私は今人間界のなかで、人間が作ったものの中で人間は排除しようとしている植物がそれでも生きるという姿をショートビデオで残しています。ユーチューブのアカウントを昔作ったのですが、何を特徴とした私のアカウントにしようか分かりませんでした。だからいろいろなものをアップしましたね。でも、最近は人間界のなかで人間から排除されようとしている植物をショートビデオでとることにしました。

 それでも生きる生命はとっても尊いし、人間の感覚に訴えかけているからです。人間が成長するにはこれが必要なんです。人間一人一人には本性があります。その本性をどのように現せばよいのですか?人間の中にあるオリジナルの本性はそのままでは役に立ちません。必ず環境を通して学習しないといけないのです。環境を通じて学習することでそれが創造本性として現れるのです。それが自己実現につながります。

 それがみ言葉ではなくてこの緑色した生命なんです。生命の多様性、無限大の多様性が人間の本性を引き出します。そしてそれによって人間は自己実現、自己の理想を実現していくのです。概念はそれがありません。概念は無限大の世界を一挙に収束させて形に意味付けします。そして人間関係に必ず用いるのです。人間関係に用いるという事は概念でできた世界というのは三角形の社会になるのです。トップが存在してそしてそれから愛が流れる組織でしょう。その様なイメージですね。これはあくまでも「私達の世界」なんです。私はこのような世界には本来の愛の主管性は存在しないと思います。その様な組織が成立しないと感じます。

 私達がこの人間界に生えている雑草をどうしてますか?抜き取って集めてゴミ箱に入れてます。これは人間の本性を引き出してくれるもっとも尊いものだと私は思っています。

 

 

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