感覚の世界の旅 その39 イエス・キリストを感じよう。

 イエス・キリストを感じようと言う記事です。イエス・キリストを学ぼうとか、イエス・キリストを知ろうとか、イエス・キリストを考えようとかと言う意味ではなくて、日常の生活でイエス・キリストを感じようです。

 私はキリストの背景はゼロです。もうこの地点でこんな記事を書くのは視覚がないでしょうね。でも、どうして私はこの記事を書こうと思ったかというと自分が感じるからです。自分が感じるんだから別に個人の感覚なんだから書いてもかまわないでしょう。だから記事にしたいと思います。キリスト教の背景はありませんが知識は一般の人並みにあると思います。

 イエス・キリストの父親はタブーになっていますがザカリアですね。そして母親はマリアです。ザカリアの奥さんは皆さんもご存知であるエリザベツですね。エリサベツとマリアの関係は?祭司ザカリアの妻で、夫と共に忠実に律法を守っていましたね。ザカリアと結婚してから長い間不妊でしたが、高齢になってから妊娠して洗礼ヨハネを生みました。イエス・キリストの母親のマリアとは親類関係ですね。どうしてイエス・キリストと誕生は馬小屋でなければならないのでしょうね。あの聖徳太子のうまれも馬小屋なんですね。普通にどうして生むことが出来ないのでしょうか?

 み言葉に正妻と妾の関係の内容が沢山語られています。これを本気で理解したいと思った人はいますか?昔は四研という分派扱いされた人々がいましたが、その人々のほうが良く勉強されてますね。私は知ってます。なぜかと言うと庶子を扱っていたからです。私はその様な人々を色々と気論しました。そしてお誘いも受けたことがありますが、それは断りました。議論できるくらいに勉強しましたね。

 ヤコブ家庭を中心とするレアとラケルの話を真剣に考えた事ありますか?そしてイエス様のうまれの由来である、エリザベツとマリヤの関係を考えたことがありますか?それからイエス様と洗礼ヨハネの関係ですね。私はとっても沢山調べました。なぜこの事を私は必死になってやったかといいますと、今は亡き、国時氏に色々と教わっていたからです。当時は自分のあゆみの価値を感じなければ前進できないほどの歩みでしたね。だから求めました。

 妾の系統である庶子の道を考えていました。当時は必死で歩んでいたので分かりませんでしたが、最近になって分かり始めましたね。正妻の系統である王族と妾の系統の皇族の違いが私は体験を通じてあまりの違いを感じていました。どうしてこんなに違うのだろうかと不思議に感じるくらいなのです。皆さんは王族圏しか知らないでしょう。昨日からお孫様がLAチャーチに来られてます。このお孫様は王族圏のお孫様です。みんな、集まってわいわい騒いでいました。私はその時は半分無視です。この方に興味を抱きたいのですが、それがいけない事を知っています。一人の人として見れなくなるからです。反対に制御する部分が自分の中にありました。

 結論を書きますね。以前も記事で少し触れましたが、イエス様は感覚の方です。ご自分の中に創造の本性を持っていらっしゃり、感覚で物事を感じられる方です。感覚はイエス様ご自身の世界だけなんですね。誰が理解できるかと言うと誰一人として理解できません。

 洗礼ヨハネとイエス様の違い分かりますか?洗礼ヨハネは概念の人です。イエス様は感覚の人です。洗礼ヨハネは預言者としては人からこの方こそはメシヤではないかと勘違いされるような立場でしょう。「洗礼者ヨハネは、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者。個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼を授けた。『新約聖書』の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベト。バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネとも表記・呼称される。ヨハネは「יהוהが深く恵む」という意味の名。 ウィキペディア」と説明されています。人間関係では人々に受け入れられる立場なのですね。それは概念の人でそれが長けてた人だからです。

 イエス様は人から理解を受けるのが非常の難しいたちばですね。当時の常識を破り、当時の律法を排除し、あらゆる決め事を壊す為に来られたようなものでしょう。古いものを壊しに来られたようなものです。だからそれに執着している人々にとっては敵なんです。感覚からみると、決められた世界、律法の世界、法律で定められた世界と言うのは概念で雁字搦めになっていて、概念で縛られた世界です。そこから人々を解放させようとされたと思います。しかし、人々が受ける痛みに耐え切れず、受け入れられないで、その痛みを攻撃に使いました。

 現代の社会も同じですよ。2000前と変わってはいません。依然として概念の世界が継続されています。言葉で出来上がった社会は概念の世界を作ります。それが人間の言葉に喜びの世界を作っているのです。概念は関係の世界なので、関係で出来上がる社会ですね。今までと同じです。だからみんなが幸福に感じる、みんなが幸せに感じる、同じ物差しで計られた、共通した喜びを感じ、そしてそれが常識となっていて見えない力として同調圧力とか、同化圧力とか担っています。そして概念ですから教育と言う言葉が主流になっているでしょう。学校のシステムが教育と言う言葉が主流になっているのです。何の疑問も感じないでしょう。何がおかしいのかと逆に言われてしまいそうです。

 教育と言うは同じもの指して共通の基準、評価があって、その物差しに乗っかれる人、その物差しで計られて優秀な人は世の中ではエリートコースで人生を暮らすことが出来るのです。そのためにみんな教育というルートに乗っかっていくのですね。同じ教育を受けながら、同じ評価基準で評価を受けながら、少しでも変な子がいたら疎外されますね。それが嫌なのでみんな勉強します。そして、その良い評価を受けようと努力しています。これは実は概念の世界の特徴であり、人間の関係で出来ている世界です。正規分布の図が当てはまってしまう世界なのです。

 それから資本主義の資本という共通の価値を持ったお金があります。これも一つ概念の世界を作っていますね。同じに簡単にしてしまうのです。お金と言う共通単位で同じにしているでしょう。100円でお菓子を買います。すると100円とお菓子は同じだと思っています。でも、これを感覚の人が見ると明らかに違うのです。見るだけで分かりますね。それを簡単に同じとしているのです。概念の落とし穴にはまってます。

 それから善悪、神とサタン、良し悪しの基準とかは全て人間が概念で作り上げたものです。このような概念は感覚には存在しないのですね。これらの評価は感覚の世界にはいると自己評価に転換されてしまいます。全て消えてなくなってしまうのですね。もっともっとあるのですが、イエスキリストはそんな世界を壊す為にやってこられました。現代社会でこんな人が現れたらどう思いますか?変人でしょう。頭がおかしくなった人と見ますね。それに耐えられますか?現代にイエス様が来られるのは不可能ですが、イエス様を慕うのであればこのくらいの覚悟は必要でしょう。

 一切の評価基準を外に向けてはいけないのです。自分自身が持っている評価基準の全てを自分に向けられる人がイエス様と共に歩める人ですね。何人いますか?

 

 

 

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