やはり自分は変人の中の変人みたいです。変人のお墨付きの変人だからです。「私は変人だと思いますが?」という質問に対して、「OOさんは間違いなく変人でしょう。」とすかさず答えられました。

 

 感じている事、閃く事が普通じゃないというのが最近分かって来ました。私はいくら記事を書いても誰も読みはしません。関心ない記事だからでしょう。さらに読んでも何を書いているのかさっぱり分からないからでしょう。妙なことばかり書いているので誰も読まないです。

 

 私はブログ村の古株ですよ。十数年前はちゃぬさんがいました。その時に私も色々と書いていてある日トップ3に自分の記事三つが入りました。そんなときもありましたが、記事の内容が変って、ブログ村の住人も変って、私の記事なんて読まれることは亡くなりました。一部の人は読んでいただいています。しかし、私は読んでもらうことが目的ではなく、目的はとにかく閃きを記事にすることだったのですね。だから今も書いています。

 

 自分の意識得をメタ認知できる人はほぼいないでしょうね。あるいは言葉の前の感覚なんて分かる人なんていないと思います。そして善悪のない、正誤の基準もない世界について書くのですから、それを理解できる人もいないです。よっぽど私は変人だという証拠なんです。

 

 最近自分の過去の生い立ちを振り返ってきて、まさに自分はこのための人生かなと思うこともあります。文先生にマッチングのときにあんな言葉を私に女性の方々の前に襟首をつかんで引き出して言われるというのは、相当何かあるに違いないはずです。そんな人はいないですね。言葉だけを掛けられる人はいらっしゃるでしょう。私は私の相手が決まったので奥のほうから現れる女性を見ていて、どんな女性だろうと興味心身で見ていたその瞬間に私のネクタイのあたりをつかんで、沢山並んでいる女性の前に突き出されたんです。そしてその言葉を言われました。

 

 初対面ですよ。初めて会いました。会場での出会っている時間は2時間ぐらいではないでしょうか。私の何を見ていらっしゃったのか分かりませんが、問題児の私に対して言われました。今になって問題児というのは適合しようとしても適合できない人間であり、その原因が感覚を中心としたものであったと思われます。だから、入教したらさらに戦いが増幅して試練が増し、自分の人生は苦痛の中で歩むことになったのです。

 

 今まで自分が感じてきた全てのものは間違っているので、私は自分の思いに蓋をしてきました。そうしないと教会に適合できないし、夫婦が一つになれないからです。いろいろな疑問を持っていても、そんな疑問を持つ自分がおかしいのでそれに蓋をして、しっかりと開かないようにしてきました。

 

 代金蓋を開け始めました。それはLAに住んでいらっしゃるチェンさんとのミーティングで次第に開けようかなと思い、記事にし始めました。特にCOVID-19で外に出られない期間があり記事を色々と書いてきましたね。でも読む人がいません。少数の方々が読んでくださっています。小数なので感謝しております。

 

 ちょっと最近になって、人々の考えと比較できるようになり、ちょっとやばいかなと感じることもあります。この3年間の間に自分の閃きはかなり変りました。そして自分自身の改革も同時に行っています。閃きは自身の改革の土台のうえで来るので重要なんです。日々の実践で閃きは自分自身が実践していなければならないことなのです。それが出来ない自分であれば、それは自分自身が偽善者なんですね。

 

 だからこれからどうなるんだろう。どこまで行くのだろうという未知数もあります。

 

 

 

 

 

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