心が傷ついたら

 

 心が傷ついたらどうなる?

「心が傷ついたら」の画像検索結果

 心があると、常にネガティブな感情に苛まれやすく、フラッシュバック症状が出る人もいます。 うつ病、適応障害、不安障害、対人恐怖症パニック発作、PTSD、いじめ後遺症など様々ま神経症性障害を引き起こします。

 

 心が傷ついたときの対処法は?

「心が傷ついたら」の画像検索結果

 楽しかっこと、嬉しかっことは、じっくりかみしめましょう。 怒りや悲しみ、さみしさがこみあげてきたら、怒ったり、泣いたりしよいのです。 話を聞いくれる人や、話を聞いもらえる場があれば、話しみてよいのです。 喜怒哀楽をそのまま表現することものケアです。

 

 心の傷が癒えるまでの時間は?

 個人差や事態の大きさによって時間の差はありますが、ネガティブな感情の状態が収束するのには3ヶ月程度(100日程度)を要することがほとんど。 「失恋から1ヶ月経っても立ち直ることができない」というのは、実は心理学的に見ても「ごく自然」なことというわけです。

 

 傷が癒えるとはどういう意味ですか?

 「治る」は、間違った状態や悪い状態が改まったり、好ましい状態に戻ったりすることであり、「癒える」は、病気や傷がよくなったり、心の痛み、悩みなどが消えたりすることである。

 

 以上が心の傷についての一般的な解釈です。

 

 

 心の傷を受けたときにどのようにしますか?自分の場合はあまり人に話すことはありませんでしたね。こんなことがありました。どうしてもと頼まれて、他に方法があるのに私を信じているからどうしてもといわれたので引き受けました。そしたら結果的に何が起きたかといいますと、そこには弁償金が付いてしまったことでした。普通は起きないんですが、その人の持ち物が原因で弁償金が付いてしまったのですね。そしてその人が帰ってきて事情を話したんですが自分で払うような気持ちがなかったのです。だから私はその弁償金を払いました。

 

 自分が間違ったことにしてしまうのです。私は友人から車をあげるから修理して持っていってくれないかといわれました。そして私はそれを修理しました。シリンダーヘッドを中古に交換してタイミングベルト類を新しくして、不備な部品を中古の部品と交換して、そして売りました。そしたら2ヶ月ぐらいしてまたシリンダーヘッドの修理しましたね。マシンショップに持っていて修理しました。そして取り付けたのです。それで他の人に売りたいというので、私が色々探してある若い女性に売ることにしました。そしてその子は何かあったら保障してくださいと一言いって行きました。私はよっぽどのことがない限り大丈夫だと思ったのです。それでしばらくしてオーバーヒートしてまた調子が悪くなってヘッドガスケットを交換しました。それで直ったのですが、その一ヵ月後ぐらいにエンジンオイルがなくなってその車のエンジンが壊れたのです。それから私はいろいろな問題が起きるのが嫌だったので、あと売るときに約束したので私は全額返しましたね。半年以上のいろいろないざこざがありました。それを全部私の責任にしました。全額返してそしてそれで終わりにしたのです。だから何も尾を引くことはありませんでした。人が得したと思えば良いわけです。いろいろな悪いことがおきても得したと思えばよいわけで、それで私自身の心が軽くなります。そのあとに尾を引くことはもうなくなるのです。一体この期間は赤字でお金を投資して、労力も多くつぎ込み、ガソリンとか部品代もかかって一体何をしていたのかと思うほどの状況でしたが、全て私の中に収めました。ほかの人には一言も言ってません。一番初めにエンジンとトランスミッションの中古をつければよかったんです。オーバーヒートでかなりエンジンが弱くなっていたのでいろいろなトラブルがありました。

 

 車のキャタリティック・コンバーターというのがあります。私は車の調子が悪いし、チェックエンジンライトがついているので調べました。そして2つのキャタリティック・コンバーターがあり、二つの部品を注文しました。エンジンに近い方の交換を進めて交換したんですね。でも直らないのでもう一つのキャタリティック・コンバーターを薦めて、これを交換したら直ることを伝えましたら、交換しなくて良いことになりました。だからお客としては直らないのに高い部品を払う気持ちもなく、もう一度古いのに変えてくれというのです。一つの新しい部品はもう返却できません。もう一つは返却しました。元に戻して工賃だけを頂きましたが、高い部品を在庫に持たなくてはいけなくなって使う機会はないでしょう。そのご数ヶ月してエンジンの力がないというので調べましたが、どこかの修理工場に行って元に戻したコンバーターを交換され、修理費用を請求されて、それでも直らないものだから私は調べましたが、どうやら二番目のキャタリティック・コンバーターが悪いようなんですね。しかし、万が一違ったらまた在庫にしないといけない恐怖心があり、いえませんでした。数ヶ月してそしたらそのキャタリティック・コンバーターが誰かに切られて盗まれたのです。それで応急処置をしたら調子よくなったというのですね。二番目のキャタリティック・コンバーターが悪かったのです。一番初めに二つ買えておけば直っていたのです。これは自分の交渉のなさで自分が悪いので何も言いませんでした。

 

 ダメなんです。私は全うなビジネスができなくなりました。お金儲けのビジネスが出来ないので金儲けできないのです。今もそんなことをしていますが、もう難しい仕事はやめました。それはとってもリスクがあって痛いので引き受けるのをやめました。

 

 心の傷をおって自分で癒す方法は自分の責任にすることなんです。そうするとしばらくは悔しいし、とっても孤独感を味わいますし、辛いですが、その人々に対しては怨みがありません。普通に人間付き合いが出来ます。これらの問題は自分自身が情けないからですね。自分自身がバカだからなのです。だからもっと自分が成長しないといけないなと思うのですね。

 

 どうして、一般的にはいろいろなパニック障害になったり、鬱病になったり、ネガティブになったりするのかといいますと自分のせいではないと思うからです。自分が原因ではないと思っているからなのです。自分の心が傷ついたと感じるのは自分が幼いからと思えないし、自分が未熟だと思えないからなのです。ここに善悪の基準と自己創造の枝分かれがあります。それは自分の責任に出来るか出来ないかの違いがあるのです。

 

 堕落性は自分の責任ではないという働きをします。ここに堕落性が偶発的に生じた原因があるのですね。自分の意識の原因が自分じゃないというのは堕落性を生むことになるのです。自分では否定できないので外部の否定を受けながら、象徴的に戻すことになるのです。否定のなかで忍耐して善側は悪に勝利してきたのではありませんか。そうして否定を受けながら徐々に個人の内面での自分の意識の原因が外部になるということを否定する、すなわち自分の中に原因があるということで、認めることで始まるのです。

 

 何が始まるかといいますと、堕落性がなくなり、本然の位置と状態を取り戻して、本来の良心作用が自分の中で起き始めるのですね。これを誰も知りません。誰も気が付きませんね。

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ ロサンゼルス情報へ
にほんブログ村