「So,where do you stand?Dont look at the person next to you.Answer that to yourself.You ask that question to yourself and your answer it to yourself,and that's where you stand.Have I seen crap?Yes I have.I'll probably more.That's where I stand.How do I get better?Following this basics;doing this basics,doing what is right,no other way.」

 

 「だから、あなたはどこに立っていますか?隣の人を見ないでください。自分自身に答えてください。あなたは自分自身にその質問をし、自分自身に答えます。私はがらくたを見たことがありますか?はい、私はおそらくもっと見るでしょう.それが私が立っている場所です.どうすれば良くなりますか?この基本に従います;この基本を行い、正しいことを行います,他の方法はありません.これは話された一部の内容です。(グーグル翻訳)」

 

 これから説明するのはあくまでも私一個人がこのスピーチを聞いて感じたないようですのでご了承ください。私個人の意見です。

 

 貴方はどこに立ってますか?ほかの人に聞かないでくださいと言われ、自分自身を見つめなさいと言われているのでしょう。自分自身を見つめて何を見るんでしょうか?それは自分の意識ではありませんか?あなた方は何を考えているか問われていますね。だから私達の毎日の思考について問われているのです。

 

 私の考えでは「私の立ち位置」とは現在位置ですね。現在位置とは自分自身の意識を自分自身の内面が表れたものと認めるところです。蹂躙された、騙された、人を批判したとかその自分の意識自体の原因が自分にあるということを認めたら自分の位置が確定するのです。

 

 私が悪かったと認める、人が原因だったと思っていたが自分が原因だったと認めることです。自分が正しいと思っていたのに、絶対的に正しいと思っていたが、もしかしたら間違っているかもと思うことです。そして自分自身の間違いの可能性を認めることなのです。間違っているとは書きません。間違っている可能性があるということを認めるということなのです。色々な評価をして決め付けることを辞めることです。評価はしても決め付けないことです。そういう考えもあるなと人の考えも、受け止め方も認める心をもつということです。正しいとか間違いだと言う評価もしないです。正しいかもしれないし、間違っているかも知れないという考えになります。もしかしたら貴方が言う通りかも知れないという心を持つことです。

 

 あまり沢山書いても分かり難いですね。どうしてこのような思いになるかは根本的なものがあるからです。それは何かと言うと、自分自身をはじめに見つめられるようにならないといけないですね。そしたら自分の意識が分かるようになると思います。私は、生まれてから今日まで自己意識を意識できたのでその辺の気持ちが分かりませんので間違っていたら申し訳なく感じます。

 

 だから悔い改めの連続であると理解していただければよいと思います。一回でも悔い改められた証をしますね。それが何だから素晴らしい証になります。それは当然なんですが、それが連続したらもっと素晴らしいのではありませんか。しかしそれをしないんです。

 

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ ロサンゼルス情報へ
にほんブログ村