つぶやき(実り)

 言葉で教えても理想が果たせません。言葉で学んだ人は言葉で教えようとします。言葉で広めようとします。これは概念の世界だけなんですね。感覚で感じた人は言葉では教えられません。感覚で感じた人は感覚で伝えたいと思います。だからなかなか言葉ではその本意は伝わり難いです。でも、言葉で表さなければ感覚の世界は一人一人の世界なのでいずれは消えていくでしょう。伝わることはないと思われます。

 「無条件に愛する。」「無条件に人を受け入れる。」といくら言われてもそれを実行することは非常に困難でありいまだそれを感覚でつかんだ人がいないのです。なぜならこれは概念では果たされない世界なのです。教会に来ても理想は素晴らしいですね。確かに理想があり、理想に向かおうとしていますが感覚がないので個性完成は無視されてます。第一祝福は無視されてます。それはなぜかと言いますと分からないからですね。堕落性を脱ぐための本質がこの中にあるからなのです。これらを無視して第二祝福、第三祝福の理想を掲げながら歩むでしょう。外との関係を重要視しながら歩むのですが、一人の存在としての立場が抜けてます。どうして誰一人として見つめようとしないのか私には理解できません。一番重要で、基本がこの第一祝福の実れと言うことなのに、誰もそのことに関しては関心を持たないのです。

 礼拝のときにどの季節が好きか皆に聞いたらいろいろな回答がありました。私は秋と答えました。実りの季節です。熟さないといけないでしょう。個性完成しないといけないでしょう。その基準は一体どこにあるか模索したことがありますか?どんな基準が個性完成なのか模索したことがあるでしょうか?自分はこれを模索しながら生活しています。それは誰もわかりません。理解できません。近くにいる人もわかりません。