自分を知るために必要な他人の中の鏡

茂木健一郎Ken Mogi

 

 

 

 自分のことを色々思い悩んで、自分ってどういう存在なのかなあーって考えたことありますよねぇー。夏目漱石の小説の主人公だったら吾輩は猫であるとわかっているんですけど、人間というのはやっぱり自分は何なんだろう誰なんだろうって考えることが多いんですけど、そこでね、えーっと大前提となっているっていうのが、自分のことは自分が一番良く知っているということだと思うんですけど、実はそうではないんですよね。

 

 まあ、我々実は自分のことを知るためには他人という鏡がないと、自分に到達できないと言うんですかね、自分探しの旅は実は他人から始まると言うんでしょうか、例えば他人となんか会話してますよね、会話していると何か共感することもあるしぃー、何か違和感を覚えることもありますけれども、その共感するときとか、違和感を覚えているそういう時に実は自分という存在がね、他人という鏡に映っているわけですよね。共感していると、あっ!やっぱり私はこういうふうに感じるんだ、僕はこういう風に感じるんだと思うし、違和感を感じるとそのズレを通してかえって自分にとって大切なモノが再確認されたりするわけなんで、いずれにせよね、他人という鏡を通さないと我々は自分の事を知ることが出来ないわけなんですよね。

 

 その脳科学ではミラーニューロンとかミラーシステムとか言われるような、神経細胞がですよね、前頭葉とか後頭葉とか見つかっているんですけれども、これはまさに自分と他人というものを写し合う神経細胞だと、自分がやる動作と他人がやる動作を比較したりだとか、あるいは自分の様々な属性と他人の様々な属性を比較する、そういうことを通していわゆる心の理論、相手の心を読み取るセオリー・オブ・マインドと呼ばれる様な、脳の働きも支えられているのではないかという説もあって、まあこのあたりは研究が進んでいる段階で、はっきりとしたことはまだ言えないんですけれども、いずれにせよですね、脳の中にその鏡、があると、その鏡のような働きをしている神経細胞が自分と他人を写しあっているらしいということはわかってきているわけなんですよね。

 

 ですから他人の脳の中にある鏡を通して私達は自分の事を知ることが出来るということなんです。大切なのは沢山お友達がいるとそれぞれのお友達、知り合いの中に写る自分の姿っているのは少しずつ違うんですよね。ですから他人という鏡、その鏡はやっぱり人の数だけあって、10人いたら10人の人が少しずつ違う形で自分の姿を写すことか、写してくれる、勿論共通点もあるし、違うところもある、だからこそいろんな人と知り合うことは大事で、まあ、年齢だとか、ジェンダーだとか、背景となている文化だとか、そういう違う人と向き合うことによって、我々は自分という存在を知ることが出来るようになって来るわけです。

 

 ですから、あの、友達の数だけ鏡もあるし、その鏡に写った自分の数だけ、自分という存在に対する理解も深まってくわけで、結局はですね、私達は自分という存在を知るためには、他人と向き合わなければいけないということになるわけなんです。ですからやっぱり友人は大切にしたいですよね。