人間の脳と中枢神経系があります。機能面で分けますと運動神経と感覚神経系に分けられるそうですが、内臓や感覚に関係するものは自律神経系とも言われ、これには交感神経系と副交感神経系に分けられるそうです。

 人間の神経は肉身の維持、繁殖、環境に対する順応、人間の肉身を健全に保ち成長させるように出来ていると考えます。そのために肉身を動かします。これらは全て神経系を通じて脳が制御しているものだと考えられます。これは動物とかなり似てるところがあります。

 大体の構造は人間は電気的信号で制御されているということが言えると思います。人間の脳に入る入力の信号と出力の信号でこれらの機能が制御されているのですね。

 食べ物が必要になれば血糖値が下がり上げる指令を出して食べ物を補給します。脳には扁桃核があり危機を回避するために働いているのです。肉的五感からの情報を合わせて脳が制御しているのです。

 

 

 全てが電気的信号で機能を果たしているということをご存知でしょうか?

 

 何かロボットのようなイメージが有りますね。でも、人間の肉身はこの様に制御されています。これは紛れも無い事実なのです。医学が発達してきて人体の構造が細かく明らかになってきています。脳を中心として出力と入力で人間が制御されているというと、ロボットのような人間というイメージになってしまいます。しかしそれが事実なのです。

 

 この医学の研究は結局肉身の構造を求めてきたのです。ただ問題がありました。それが精神と言う問題です。誰も精神とこの肉体の構造を分けて考えた人はいませんね。この肉体に精神が雇っているような表現はしますが、肉体と精神を分けて考えている人はいないと思います。

 

 肉身は脳を中心として電気的信号で動いていると考えます。その制御のプログラムを組んだ方が神なのです。人間のプログラムの全てがDNAに組み込まれていて、そのDNAに従って機能しています。全ての人間の肉身はDNAによって機能していると言えるでしょうね。

 

 細胞の集合体である脳は神経細胞が集まって環境に従って、それは人間が創造する人工知能以上の神が想像した知能であり、それらが脳を形成していると考えても良いかと思います。この脳によって人間は制御されています。

 

 動物は全てそのように制御されていると考えるのです。ですから私は動物をロボットという表現をしました。

 

 

 

 さてここからが肝心ですね。動物と人間の違いが明らかになるのが一体何なのか?

 

 それが”思いの世界”です。”思いの世界”というのを別にしたのです。そして”思いの世界”と肉身の関係を考えるのです。

 

 脳内物質を調べた事があります。”思いの世界”に応じて肉身が反応しているのです。色々な脳内物質を人間の体は造っているのです。”思いの世界”に従って肉身は脳内物質を精製しているではありませんか。それが、肉身に影響していきます。

 

 肉身の感覚というのがありますね。痛い、かゆい、触られた、熱い、冷たい、というような五感を通じて電気的信号に変換されて脳にその信号は入ってきます。そしてその感覚を感じるというその一点です。当たり前のことなのですが、よく考えてみてください。

 

 動物にその感覚があるかということは分かりません。調べようがないのです。動物に聞いてみることも出来ません。電気的信号を見ることは、調べることは出来ると思いますが、人間の感覚を調べることは出来ないと思います。

 

 ですから、だれも知らないので話題にもならないのでしょう。それに私は焦点を当てました。感覚です。私達が言葉にする前の感覚があります。必ずあります。その感覚があるので、私達は自分が学んだ言語を用いて言葉として表現しているのです。

 

 この感覚は動物になないと考えると色々見えてきます。

 

 例えば目をつむって、何かに触れるその瞬間の感覚は動物的には触れたという電気的信号にすぎません。その信号を受けて脳は判断してある出力の信号を発します。動物はただそれだけだと見るのですね。しかし、人間は電気的な信号であるにも関わらす、触れた!と言う感覚を持っているということなのです。

 

 日常の感覚を私達は当然のようにして感じています。日常の様に思いながら生きています。当然として何の疑問も抱かないで生きています。誰が疑問を持ちましたか?誰もいないですね。

 

 この人間の思い、感じている感覚自体が人間の霊的部分なのだ。

 

 この仮説は結構面白いと思います。肉的五感と霊的五感が表裏一体になっていて存在しているということが明確になりませんか?霊界に行くと私達の思いだけが行きます。別におかしくもないですね。

 

 さらに、受けた感覚、肉的五感から得た情報を処理するときに、動物はそのまま電気的信号を機械的に処理しているのだと考えますが、人間には実は思いの世界を自分で変えられるという自由意志を持っているということなのです。

 

 考えたり、色々探求したり、関心を持って調べたり、夢を抱いたり、美しい物を見たり、喜びを得たと思ったり、このように色々と思いはあって、自由意志があるのですね。これらの思いと肉身は関連していて深い関係があり、私達の思いは人間のDNAにも影響していると言われているように、自身のDNAを形成しているのです。

 

 

 

  

 この様に、ただ電気的信号で機能している人間の肉身とそれに関わる人の感覚部分、更に思いの部分、思考の部分、更に、向上心、探究心、願いなどの部分が存在していて、その部分を人間の霊人体としているのだと思われます。

 

 私の言わんとしている事がお分かりでしょうか。

 

 この肉身の電気的機能と感覚と思いの関係する媒介体が一体何か? これは興味津々ですが、これがもしかしたら量子力学の世界に入っていくのかも知れません。物質の最小単位の量子の世界は人間の観測と関係があるのは見逃すことが出来ませんね。

 

 そして、動物にななくて、人間だけにどうしてあるのかという疑問が当然あります。それも一つの神秘的世界であり、量子の集合体の次元を高め、ある次元に達すると思いの世界を生むことが出来るという考えを持っています。

 

 神がどうしてこんなに回りくどい創造の過程を通じて人間を創造されたのか? そこには神の事情があり、この創造過程を通じなければ人間を創ることが出来なかったということなのでしょうね。いまのところ私はそのように考えています。

 

 

 

 

 

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