リストラの太陽~負けてたまるか!~僕が議員になったわけ | 天野正孝オフィシャルブログ「頑張ろう!日本!!」Powered by Ameba

リストラの太陽~負けてたまるか!~僕が議員になったわけ

 

 

今から14年前、僕は僕自身に問いました。

公務員として勤めた23年間、新病院の建設による医療の充実、高齢者の皆様のための徳用施設の建設とそれまで地域の方々が喜ばれるような施設建設に努めてきて、異動という一文字のためにその活動の場を失ってお前いいのかと。

そうした時、介護保険外で使える施設、介護予防の施設として私が苦労して立ち上げた施設(国と県が全額補助)に、ガンで治療中の亡父が使えない体制に変わっていました。

市民の皆様にとってより良いまちづくりこそが本当の意味の公共の義務ではないか、その思いで建設した施設・・・それなのに担当が変われば、自分の肉親さえ利用できないようなシステムになってしまう。その時、行政の固くなさを痛感しました。

そこで、一度民間の立場に立って、そうした福祉施設の建設に携わりたい・・・その思いで、社会保険労務士の資格を取り、行政書士とのダブル資格で開業する決意で、市の職員を卒業させていただきました。

おかげさまで、事務所は開業年から事務員も雇い、盛況のうちに2年間が過ぎました。

すると、地元の市議会議員の引退という出来事が起こり、地域で新しい地元の議員を出したいという声が上がりました。

そんな時に一人の糖尿病によって失明寸前のSさんにお会いしました。

彼は、後天的に障害になられた方々がご苦労されている実情を語って下さり、、その為の支援を市に掛け合うために、私に市議会議員になれというのです。

それから毎日、我が家に電話をくださいました。

自私にできるのか自信がもてなかった私は断り続けました。

しかし、ふと自分が住んでいる時ケ谷の様子が目に入ってきた瞬間がありました。

21世紀になってもまだ土側溝が残る時ケ谷の地。

区画整理計画が中断したため、国や県の支援が得られない町。

しかしながら市街化区域として多額の固定資産税がかかる町でもありました。

近隣の地域でも不条理な課題がたくさんありました。

これで良いのか、福祉と合わせてこの状況を市民の一人として訴えていかなければ未来永劫この街、そして近隣の町は時代に置いていかれる・・・その恐怖が日に日に大きくなりました。

またSさんのように福祉サービスが充分受けられない方々をどうするのか・・・その思いも大きくなりました。

そしてとうとう、その思いが抑えきれなくなり、12年前の市議会議員選挙1か月前に決意し、平穏な日々の生活に満足する自分をリストラし、奇跡的に当選し、現在に至ります。

人は人のために生きている・・・日本人はこうしてこれまで歴史を作り上げてきました。

この歴史を潰してはならない・・・その思いを胸に、くじけそうになりそうな自分自身に負けてたまるか!との思いで、歯を食いしばりここまで頑張ってきた次第です。

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