第74回全国都市問題会議 | 天野正孝オフィシャルブログ「頑張ろう!日本!!」Powered by Ameba

第74回全国都市問題会議



こんばんは。今週は、岩手県盛岡市で行われた第74回全国都市問題会議に出席してきました。今回のテーマは「都市の連携と新しい公共」~東日本大震災で見えた「絆」の可能性という内容で、震災に合われた地域の首長さんやボランテイアをコーデイネイトされた大学教員やNPO法人の皆様などを講師に迎えた内容でした。以下、講演内容の要旨を報告いたします。

基調講演~高成田享仙台大学教授「震災復興と都市の役割」
まだ何も終わっていない震災復興を顧み、政府の震災地の公有化方針の遅れによって地方自治体の復興計画が遅れた事、市民ファンドという新しいボランテイアの形が生まれた事、NPOを中心とした公的機関の委託業務などによる政府・企業・市民が提携する新しい公共の広がりが実現したことなどの説明があった。

主報告~谷藤裕明盛岡市長「私たちの未来は被災地とともに」
震災時に市内の被災対応とともに県都としての県内被災地への支援の取り組みの説明があった。保健師や行政職など短期では725名、長期には53名の職員を派遣した事、ボランテイアを無料宿泊させる「かわいキャンプ」や被災者支援のための「もりおか復興支援センター」の開設など様々な支援活動についての説明であった。

一般報告~平田オリザ大阪大学教授「文化による地域復興を目指して」
創造型復興教育として、首都圏の産業を支えるための人材育成から20年後・30年後被災地域を支える人材育成への転換・被災地の子どもたちの体験を形に残す教育への転換などについてお話があった。

一般報告~井口経明宮城県岩沼市長「絆で早期復興 互いに助け合える連携を」
市内で181人の犠牲と5400戸を越える住宅被害の中、姉妹友好都市提携している高知県南国市、山形県尾花沢市がもっとも迅速に給水支援や職員派遣を行ってくれた事、社協によるボランテイアセンターが震災3日後に立ち上がりボランテイアの振り分けを適切・効果的にに行ってくれた事、米軍の「トモダチ作戦」によって仙台空港の復興が速やかに行われた事、これまで交流のなかった静岡県袋井市等からも支援を思いがけなくいただき涙が出るほどうれしかった事などの報告があった。

大矢邦宣 平泉文化遺産センター館長~「三陸復光と世界遺産平泉」
平泉の中尊寺や毛越寺など現世主義の仏教学を開設するとともに、「絆」とは関心を持ち続ける事であると説明された。つまり震災地に関心を持ち続ける事が復興につながるとのお話であった。

パネルデイスカッション
コーデイナーター:広田純一岩手大学教授
パネラー:多田一彦 遠野まごころネット理事長、西尾雄志 日本財団学生ボランテイアセンター長、村山優子岩手県立大学教授、戸羽太陸前高田市長、大橋建一和歌山市長

東日本大震災復興構想会議委員でもある広田教授から岩手・宮城の両県での支社行方不明者が14000人を越えた事、49日法要を実行した事で消防団の遺体捜索活動が収束した事、震災後7ヶ月で仮設住宅5万戸の完成を見たこと、まだまだ進まない震災瓦礫の状況について説明があった後、各パネラーから役に立った事などの発表があった。
多田氏:一番最初に必要だったのが避難所リーダーとの連携、次に必要だったのがNPO・NGOなどの後方支援に来てくれた人との連携であった。
西尾氏:大学の中枢機関にボランテイアの趣旨をいわなかったほうがよかったかもしれない。ボランテイアという言葉を使わないで実際の業務名で求人したほうがよかったかもしれない。
村山氏:IT支援という事で活動。支援活動を大学の演習でやってしまえばよいという感覚で実施した。大学の場合、教員の裁量で動かす事が実質的だと感じた。
戸羽氏:自衛隊は派遣後、市長の指揮下で活動する組織になっていたが、妻を亡くし子どもを抱え大きなプレシャー状態だったため、自衛隊の方でうまく調整していただけた。絆とは寄り添う心だと思う。多くの政治家が来られたが一番印象的だったのは、玄葉外務大臣。被災地に同行しその惨状に大泣きされた後、何でも言ってほしいといった真摯な態度に寄り添う心を見た。
どうか、被災地を忘れないでください。
大橋氏:PTAを中心に郡山の小学生100人を放射能のないのびのびした青空の下で過ごしてほしいと2泊3日の和歌山訪問を企画し実行した。多くの子どもたちに感謝をいただいている。今年は、中学生もきてくれて体験談を話してくれたが効した広がりが大切だと思う。

以上。早急にまとめてみましたが、まだまだいっぱいいいお話をいただき勉強させていただきましたので併せて報告いたします。

昨日で、震災から1年7ヶ月。被災された方々の中には長かったという意見よりも短かったと考える意見のほうが多いのではないでしょうか。陸前高田市では両親を亡くした子どもが20人、高校生まで含むと40人もいるという事実、浪江町や楢葉町ではもう帰れないと言う悲痛な叫びが聞こえてきそうです。子供たちのことを考えると心が痛くなります。そんな中、静岡県では、浜岡原発の再開を県民投票で決める条例案が自民党以外の会派の県議の修正案さえも自民党系の議員を中心に否決されてしまった事に、怒りさえ覚えます。陳情の提出の仕方の不手際を差し引いても、16万7千人もの県民要望を葬り去るとは・・・何のための政治か、誰のための議員かもう一度じっくり考えていただきたいと強く思います。

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