震災から8ヶ月 | 天野正孝オフィシャルブログ「頑張ろう!日本!!」Powered by Ameba

震災から8ヶ月



こんばんは。藤枝の今日は冷たい雨の中真冬状態でしたが・・・皆様の地域ではどうでしたか?

今日は、朝9時から事務所で、地元要望資料の整理と市役所各課と電話で情報交換。
その後、後援会役員会資料及び明後日の自治会定例会にお分けする資料を作成。
午前11時~市議会へ。
地元要望のあった案件について担当各課と情報交換。
午後1時~先週実施された土地利用特別委員会の視察研修報告を作成していました。
要旨は以下の通りです。

視 察 先          群馬県藤岡市
研修テーマ(調査項目) 藤岡IC周辺地域整備構想の取り組みについて

①調査内容をどう評価するか

藤岡市は群馬県の南部に位置し、関越自動車道・上信越自動車道・北関東自動車道が分岐する高速交通の要所で、平成8年3月に「藤岡インターチェンジ周辺整備基本構想」が策定され、ハイウェイ立地型集客施設として平成10年~11年度に物産を取り扱い駐車スペースを整備した道の駅「ららん藤岡」を建設し、第三セクターで㈱藤岡クロスパークを設立し指定管理者として管理運営を委任している。同周辺地域は、地方拠点都市地域の拠点地区として、県職員も交えた整備構想検討委員会とワーキンググループにより産業交流拠点としての整備が検討され、平成21年度に藤岡IC周辺地域整備構想書が作成された。短中期的には中央の事業先行地域にある「ららん藤岡」と相乗効果のあるIC西側地域を流通・物流・研究業務施設の立地誘導ゾーンとし、中長期的にはIC南側を先行地域と連動した市民交流・公共公益施設の立地誘導ゾーンとして計画されているが、全体的に市街化調整区域のため、民間組合施行による土地区画整理事業を予定しているが、参入してくれそうな開発業者がなかなか見つかっていないとのことであった。

②市に反映できると思われる点

・物産施設の先行設置による誘客能力の確保
・県との連携
・民間組合施行による(民間業務代行型)土地区画整理事業

③その他(感想、意見)

同地区が拠点地域として県の職員も当初から構想検討に入っている点については、
今後、用途地区変更がしやすい環境にあると思われる。
また、道の駅「ららん藤岡」にラスクの有名店等誘致することによって、誘客が見込める対策を当初からとられたことについては、見習わなければならない。
 また、土地利用の実現のために民間業務代行型土地区画整理事業を取られている点に、改めて、区画整理事業の手法の明らかな変化が全国的に起こっていることに気付かされ有意義な視察であったと感じました。

視 察 先          茨城県桜川市
研修テーマ(調査項目) 桜川筑西IC周辺地域整備構想の取り組みについて

①調査内容をどう評価するか

桜川市は、平成17年に岩瀬町・真壁町・大和村が合併して市制施行された栃木県と隣接した市で、かつて御影石の生産で栄えた町である。近年の人口の減少・農業や製造業等第一次産業の出荷額の減少など町として人口・産業とも衰退傾向にある中、東北自動車道と常磐自動車道を繋ぐ北関東自動車道のインターチェンジとしての桜川筑西ICの周辺地域を整備することによってインターチェンジを活用した産業振興と地域活性化による都市経営の安定化を図ることを目的としている。
桜川筑西IC周辺地域整備構想では、まちづくり方針と土地利用方針を一体的に位置づけ、隣接の未利用の工業系市街地(工業専用地域)35haを商業施設の誘致も可能な準工業地域30haと工業地域5haに用途を変更し、道路区割りのないオーダーメード型の都市計画を目指している。

②本市に反映できると思われる点

・まちづくり方針と土地利用方針を一体化したインターチェンジ周辺整備構想
・道路区割りのないオーダーメード型都市計画により進出企業に配慮している点

③その他(感想、意見)

高速道路のインターチェンジが設置されるということは、単に交通誘客のためだけではなく街づくりの大きな起爆剤になることが再確認できました。併せて、企業誘致するための手段として、敷地内に道路区割りを限定しない進出企業へのオーダーメード型の
都市計画という発想は珍しいし、有用であると考えます。
景気低迷の折、海岸部から移転したくてもいろんな規制がかかる今までの都市計画の構想では、企業誘致も限界があります。
ぜひ、桜川市の例を参考にさせていただきながら、新東名インターチェンジ周辺地域や東名スマートインターチェンジ隣接地域において、まちづくりの一環としての高速道路IC周辺の整備や構想を練るべきことを強く感じました。

以上です。

震災から8ヶ月が経ちました。その間、台風12号15号の被害もあり、自然災害に翻弄される1年であったような気がします。
しかし、必ず経済も災害地も復興していかなければなりません。
私たちが子供だった頃、未来の日本を望んで苦労された多くの大人たちの姿を、我々が示していかなければなりません。未来の希望たちのために・・・頑張りましょう!!

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