震災避難地の三日月
こんばんは。藤枝の今日は曇り。今夜から雨の予報が出ていますが・・・皆様の地域ではどうですか?
今日は、朝8時~地元有志の会のグランドゴルフ大会。
午前中共に4ゲーム楽しまさせていただきました。
ゲーム中、多くの方といろんな話をさせていただきました。特に、15号台風以降の道水路整備については胸に詰まる話も多くあり、放射能警戒区域の拡大問題と合わせて、危機管理の大切さについて、行政に問い質し、政策として提言できればと考えます。
午後1時~議会タウンミーテイング準備
午後2時~議会タウンミーテイング
9月議会での委員会審議を中心に報告させていただきました。
文教建設経済委員長として、ごみ清掃工場・新東名インター周辺の道路整備・原発問題について質問があり、行政に開示を求めていくもの、委員会として研究協議していくべきものについてお答えさせていただきました。また、市長も原発設置地の御前崎市への配慮をしながらも個人としては「安全の担保のない原発再稼動はありえない。」と議会でもお話いただいたことを報告しながら、6年後の非核平和都市宣言30周年に向けて協力を求めました。
藤枝市非核平和都市宣言は以下のとおりです。
世界の恒久平和と安全を実現することは、全人類の願いであり、かつ、唯一の被爆国の国民である私達の悲願であります。
しかし、核軍備競争により、蓄積された核兵器の数は恐るべき水準に達し、そのごく一部が使われただけでも、人類が破滅の淵に追いやられる危険な状態になっています。また、核開発は宇宙空間にまで及ぼうとしています。
今や核戦争を阻止し、すべての核兵器を廃絶することは、人類の死活にかかわる最も緊急、重要な課題となっています。
私達は、日本国憲法の精神に基づく国の平和と安全こそが、地方自治の基本的条件であることに鑑み、わが国の非核三原則が完全に守られることを願い、核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴えます。
真の平和を希求する市民の総意として、ここに、藤枝市が、この人類共通の大義に向かって不断の努力を続ける、非核平和都市であることを宣言します。
1987年12月18日
夜は、後援会の幹部と今後の予定について調整しておりました。
今日は見えませんが、昨日は月が見えました。
月を見ると、被災地でのボランテイア活動中、避難されて来た南相馬市・浪江町の方々と避難所の外で眺めた月を忘れることはできません。
その想いを旨にこれからも頑張って行きたいと思っています。
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